チャーチスクールに対して考えたことと私の理想。塾みたいなかんじでやりたい。
こにゃにゃちは。かすがです。
チャーチスクールという概念がある。チャーチスクールでググるとトップに出るのがこの方の記事なのでちとつらいモノがあるが、まぁもっともだと思う。
I don't know who I am: 行ってはいけないチャーチスクール
先日ツイッターで、プロテスタントの兄弟とこんなやりとりをした。
チャーチスクール怖い、と思っちゃう僕は不信仰なのだろうか
— 東風 (@caritasinvera94) 2016, 2月 1
@caritasinvera94 お、「怖い」とは??
— かすが (@2Kasuga) 2016, 2月 1
@2Kasuga チャーチスクールは聖書主義を標榜すると思うのですが、それは果たして本当に信仰者が理想とすべき教育たりうるのかなあ、と。
— 東風 (@caritasinvera94) 2016, 2月 1
@caritasinvera94 興味深いですね。たとえば東風さんは「信仰者が理想とする教育」ってどういうものだと考えられていますか?
— かすが (@2Kasuga) 2016, 2月 1
@2Kasuga 端的に言えば「自由をもたらす教育」ではないかと思います。この場合、自由と放縦は当然区別されなければなりません。
なので、明確な答えというものは持ち得ませんが、少なくとも私が思うところを言うならば、信仰だけでなく学問についても、これに熱心に取り組ませるものだろうと
— 東風 (@caritasinvera94) 2016, 2月 1
@caritasinvera94 「学問」を学んだ先に「自由がもたらされる」と考えてらっしゃるんですね。
ちなみに、東風さんの考える「学問」はハードルが高そうなイメージありますが、何を指標にどのあたりまで学べたら東風的にOK(笑)ですか?
— かすが (@2Kasuga) 2016, 2月 1
@caritasinvera94 なるほど。「知識がないために持つであろう、世界に対する諸偏見」から自由になることが東風さんにとっての学問の意義なんですね。ちょっと重ねて申し訳ないのですが、「チャーチスクール」が『自分の立場を守るための教育』になると考えられる理由を教えて頂いて
— かすが (@2Kasuga) 2016, 2月 1
↑(「もいいですか?」が入る)
@2Kasuga …信仰も突き詰めれば人を自由にするものであって、何かある戒めを守らねば呪われるとか、これを信じなければ殺されるといった、恐怖に基づくものではない、と私は信じていますので。
自分の立場を守るための教育であれば、それは軍国教育と大差ないのかな、と考える次第です。
— 東風 (@caritasinvera94) 2016, 2月 1
@2Kasuga なので私は、もしチャーチスクールが義務教育のカリキュラムに加えて聖書的創造論を教える、というのならそれに賛成するのですが、そうでなく、既存の義務教育のカリキュラムから何か害とされるものを大幅に削除し、教会や信仰にとって都合のいいことだけを教えるのなら違うかなと。
— 東風 (@caritasinvera94) 2016, 2月 1
@caritasinvera94 「義務教育のカリキュラムに加えて聖書的創造論を教えるというものなら賛成」ですね。参考になりました(^^
— かすが (@2Kasuga) 2016, 2月 1
という話しになった。
とても興味深いし、もっともな意見だと思う。
私のまわりには、「自然学校」という活動をされている方がいる。義務教育に行かせずに、(現時点では行かせているが、ゆくゆくはもっと自由な感じにしたいのだろう)サドベリースクールというのだろうか、そういうテイストで子どもを教育する活動である。
*サドベリースクールとは↓
良いと思う。
ただ、愛知教育心理ラボの代表の方とお食事をしたときに、その方がおっしゃっていたこともとっても印象深い。
「日本の義務教育のシステムを見直すと、やっぱり素晴らしいと感じる。然るべきタイミングで然るべきことを教えられるよう体系づいている」
と。
ただ、その一方で、問題があるのも確実だ。まぁ、私なんかは教室の片隅で小さくなっていたタイプだし、教師と(寺嫁)いう職にだけは就きたくないと固く心にちかっていたくらいだ。↓
そういう意味でも、ちょと違った意味でも、私は義務教育に憤慨している面がある。
「進化論がさも正しいように教えられてきたけど、実際は進化論であろうが創造論であろうが証明されてないじゃん。」
的なことである。
ちょっと話がそれた。
ええと、つまり、私は「塾」的な感じでもっと活発にチャーチスクール(教会学校)をひろめられたらいいのになぁと思う。
実際、今の私の所属教会の教会学校は、礼拝前の聖書の勉強はもちろん、夏休みには教会にあつまって流しそうめんをしたり、みんなで歌を歌ったり(讃美歌だけど)するし、なかなか情操教育的にもいいんじゃないかと思う。
こないだは、子どもたちとクッキーを作った。興味があることにもないことにも触れておくのが、若い時は大事だという事はなんとなく感じている。
で、今の時代はネットのちからもすごいから、どこかが主催になってカリキュラム組んで実行しているものを動画配信したらいいのではないのか。
ちょっと前の教会学校で「ダビデとゴリアテ」の人形劇をやっていたのを見たが、あれを自分たちのながだけでやっておわるというのが本当にもったいない気がした。
各地でそれを見せながら一緒に学ぶのもいいし、構成だけでも参考にしたらいいのではないか。
とある神戸の教会では、数学が得意で謎解きを作るのが得意な奉仕者がいたらしく、めちゃめちゃわくわくする(かつ聖書の勉強にもなる)宝探し的なものを作っていたのをみせてもらった。
もう!!全部ネットとかでシェアしてほしい!!(笑)アイデアだけでも助かるのに!!!もったいない!!!
だから、イメージとしては「ハーベストタイムミニストリーズ」の子ども版、ネット特化版という感じだろうか。
オープンソースにすると偏りにくいと思うし、監修にも気合が入るだろう。
まぁ、いずれにせよチャーチスクールは「塾」的な立ち位置で存在することを私は考えている。私の恋人兄弟は、みな成績優秀でけっこういい大学にいったが、誰も「進学塾」などには行かなかったらしい。
懇意にしていただいている、「うつ病だけど女子力上げよう」というメディアを運営されているこぐまさんも、塾に行かずに国立大学に受かったというし、
「進学塾」に行かせる必要はまったくないと私は思っている。そのへんに注ぐ時間と情熱を、多少教会学校に分ける必要はあるのではないか。
イメージとしてはこんな感じ↓
ここの「強烈なオヤジさん」くらいな感じで「私塾」的なことができたらいいなぁというのが私のほんわりとした理想である。