奉仕の依頼は「まず断れ」。信仰歴40年のお義母さまから教えてもらった教会生活を長続きさせるコツ。
こんにちは、かすがです。
クリスチャンです。
教会に通い始めて何年・・・っていえばいいのかな・・・数え方がわかんないですね。今は、幸いなことに祈祷会にも礼拝にもだいたい毎週行くことができて、「グングン吸収してる期」をちょっと脱出したかな・・・くらいの時代です。
結婚と同時に引っ越しもして、
新しい環境と教会にも慣れて、
ぼちぼち来るか、来ないか、来るか・・・
と思っていたら来ましたよ。
ええ、アレです。
「奉仕のお誘い」。
クリスチャンあるあるですよねぇ・・・。
そんな「奉仕のお誘い」について、
主人のお義母さまからすっっごい助かるアドバイスをいただいたので、思わずこんなところで話します。
■ 奉仕は「まず断れ」と・・・。
牧師夫人から、「もしよければ、でいいので、食事当番の奉仕をしてみませんか?」と言われました。
すごく悩みました。
私、そもそも「食事作り」って鬼門なんですよね。
アトピーがあるため、家での食事作りも、手袋をはめたり外したりはめたりはずしたり、穴が開かないように気を遣ったりなんやかんや・・・しながら、常人の2.5倍くらい「食事作り」に気力と体力を使ってると思います。
なのに日曜も・・・か・・・
ダメ・・・だけど、そんなの他の人も一緒かもしれないし、
そろそろなんかしないとダメなんでないの・・・
いや・・・でも体力的にも死んじゃうかな・・・
どうしよう・・・
とか、あーだこーだ悩んでたら、主人のお義母さまとお話しする機会がありまして。
主人のお義母様は信仰歴40年の大先輩で、かつ、子どもを5人産みつつ病気だったご主人を支えながら働いていたという、私とは別の星の人間としか思えないキャパシティの人ですから、どういう答えが返ってくるかびくびくしながら聞いてみました。
すると、こんな答えが。
「奉仕はねぇ、まず断る。これにつきるね。人生はなんでもそうよ、仕事でもそう。まず断る。かすがさんも●●(主人の名前)もまじめだから気にしてしまうんでしょ。でもそんなもんよ」
「で、しばらくしてそれでも『ああ、やりたいな』って気持ちが消えなかったら、それは神さまからの召しだと思ってやればいいのよ」
・・・と。
・・・ジーザス!!いや、違う。(←
いやぁ。ココロの荷が1000万倍軽くなりましたよね。もう。
そんなときに、FEBCというキリスト教系インターネットラジオ局で「教会の奉仕に疲れた」という方のお話が出たり・・・。
まじであるあるなんですね、こういう系の悩み・・・。
コメント欄も色んなひとの意見がたくさんあって、助かります。
教会の奉仕って、お使いに似てると思うのです。
例えば、500円渡されて、300円のパンと200円の牛乳を買って来て、と頼まれるみたいな。ふと横を見ると、あの人は3000円渡された、あっちの人は20円だ、だからズルいって事は本当はないんだと思います。
私の買い物は重いとか、かっこ悪いものを頼まれた、とか…
何も頼まれないのは、寂しい?いや、ラッキー?感じ方は人様々だろうけど。客観的にみて、優劣はないですよね?だってお使いなんですもの.
よく信仰はマラソンのようにたとえられますね。徒競走ではなく持久走。だとしたら、最初に一気に力を出してしまったら、息が切れて走れなくなってしまう。
奉仕もそんな感じで、最初はスロースタート、徐々に力をつけながらがいいんじゃないでしょうか。
とかとか・・・。 あああ、そういう意味では、私比較的冷静に自分の限界を見ているほうだわ、と思ったり。
本末転倒にならないように、自分の体力と相談しながら、そのうち聖霊様の助けによって勤められるように・・・ぼちぼち、歩んでいこうと思います(((
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