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存在に耐えられない軽さだとは思わない

発信する意識低い系。性依存(恋愛依存)脱出記。雑感と絵画技法・クリスチャン1年生におススメ本を紹介。基本的スタンスは「これからどうするか」

病院でもスルーされた性依存症。克服の道のりをお話します。

性依存(恋愛依存)について

性依存症を克服

こんにちは、かすがです。私のことをご存知の方も、はじめましての方もよろしくお願いします。

 

 

kasuga-1221.hatenablog.com

 

 

 

今からお話する話は、私が人生で一番暗いところを歩いていた時の話しと、それをどうやって脱出したか、という話しです。

 

 

 

 

私は、約1年ほど、とあることに依存してしまい、とてもつらかった時期があります。それは、いわゆる「性依存症(セッ●ス依存症)」と呼ばれるような状態でした。

 

 ※グーグルアドセンス規約違反にならないよう伏字にしています。

 

 私個人的なの体験談ではありますが、同じ悩みを持つ方に何かしらで役立てると思い発信します。ぜひ、みなさん自身の体験と照らし合わせながら読み進めてみてください。 

 

 

■ 「モテない女で、性依存症」だった私

 書いていて思うのですが、なかなかみじめな字面です。私は以前から「自分はモテない人生を送ってきた」といことに関してはあの手この手で表現してきましたが、自分が「性依存症」であったという事に関しては、明言することを避けていました。

 

 

性と言うデリケートな話題、そこをオープンにして話すと、きっとこの先、どこかで私は傷つくことになるからです。

 

 

ですが、あのとき私が体験したような陰鬱な日々、そしてそこから脱出できた今の喜び。それを思い出すたびに、私は語らずにはいられません。 

 

私をここまで引き上げてくれた、あるできごとのことを。

 

 

それをお話する前に、まず、私がどういう状態であったのか、それがいったいどういうモノであるのかについてお話させていただきたいと思います。

 

 

 ■ 性依存症について

 

みなさんは、『性依存症』または『セック●依存症』について、どんなイメージをお持ちでしょうか。

 

 これは、必ずしも相手が必要であるというわけではなく、ポルノやAVなどで自慰といった性に関する行為によって、日常生活に支障をきたす状態のことを指すそうです。

 

私に恋人はいませんでしたが、セッ●スという行為をするための関係を持っていた人がいました。いわゆる「愛情」というモノは存在しない関係でした。

 

性依存症…この状態を「病気」とするのか、ということ自体から否定的な意見もあります。しかも、私は心療内科の先生から診断されたわけではなく、後々思い返して「そういうカテゴリに入れても問題ないよな」と思っているにすぎません。

 

 

心療内科に通ってはいたのですが、そのとき私は先生にすらこのことを話せませんでした。その時は「適応障害」という病名を診断されていました。のちのち、かなり後になって先生に伝えてみると、それでも先生は、「とりたてて何もできることはない」と言いました。)

 

 

では、「はっきりと病気でなければそれは問題ではない」のか。というと、違うと思います。それに費やした時間、あのときの心の中の苦しさ、暗さ、空虚さ。思い出すだけでも、もう二度と味わいたくはない苦しみです。

 

 

■ 私がどういう状態だったのかお話します

 

私が、性行為に関して異常な執着を抱いていた期間は、およそ1年ほどだったと思います。23歳~24歳の間でした。

 

 

私は、とても体力と気力を消耗する仕事をしていました。家に帰ってくると張りつめていた糸が切れるようで、何もやる気が起きなくなり、とにかく怒りっぽくなり、家族のちょっとした言動に我慢ができず、いつも叫んでいました。

 

 

そして、休みの日はだいたい「寝る」か、「Youtubeで好きなアーティストのPVを延々と見続ける」「ほしいモノもないのにショッピングセンターをぐるぐると徘徊する」というような惰性のみで行動するようになりました。

 

 

本当は、もっと本を読んだり部屋の片づけをしたり、新しい習い事をしたり生産的なことをしたかったのですが、いかんせん全くそういう細かいことに頭がまわらず。「その場しのぎの単純な刺激」ばかりを求める日々が続きました。

 

 

このあたりから、私は「自分の脳みそがうまく使えていない」という感覚を覚えはじめます。

 

 

スーパーマーケットに買い物に行っても、自分が作ろうとしている献立に何が必要で何が必要ではないのか、ということをリアルタイムで考えることができなくなっていました。一品つくるためにスーパーを一週。もう一品作りたければもう一周。メモを取っていたとしても必ず何か1つは買い忘れました。

 

 

そして、文字が読めなくなっていることに気づきました。読めると言えば読めるのですが、「読んでいるのに理解できない」という状態になりました。私はもともとマンガや本を読むのも書くのも好きで、そういう行動に喜びを感じるタイプだったのですが、そういうものが一切できなくなりました。

 

 

このときには、心療内科にも通い、薬も飲んでいました。ですが、仕事は不定期で病院の予約すら取りづらく、そういう細かい調整を続けることができず…。私は知らない間に薬を飲むことも病院に行くこともやめていました。

 

 

ですから、「薬をやめた」ということも言えるのかもしれませんが、私の場合は依存先を「性行為」に移しただけだったので、この辞める方法についてなにか人にアドバイスできるようなことはないのです。

 

そう。私は、単純に依存先を変えたのでした。

 

タイミングよく、というか悪く、というか…わたしは、そういう行為だけをする関係の相手ができてしまいました。相手の方にも別のパートナーがいることはわかっていたので、最初から割り切った関係で、ということでした。

 

 

単純な刺激と、わかりやすい温もりを味わってしまった私は、相手と都合の合う時は性行為を、自分が休みで相手との都合が合わないときには、日中自慰をひたすらするようになりました。

 

 

だんだんと回数が増えて、ほぼ毎日、そういった刺激を求めるようになりました。自分は一体何をしているのだろう、と思いましたが、何も深いことを考えられる状態ではありませんでした。

 

セックスや自慰それ自体は犯罪ではありません。ですから、やめる必要もないだろうと最初は思っていたのです。

 

ですが、欲望というものは、雪だるまのようにだんだんと大きくなっていくもの…。自分でコントロールできる、と思っているうちに、私のココロは落ちるところまでおちてしまいました。

 

 

 ■ 「ここは地獄だ」

 

愛情を介さない関係、というモノも、私の女としての尊厳を傷つけるものでした。虚しさが大きくなるほどに相手への憎悪や、その他の人間への嫉妬なども大きくなっていくのを感じました。

 

相手の方には、他にもそういった関係を持っている女性がおり、私は頭では分かっていたのですが、いつもやるせない気持ちを抱いていました。

 

 

自分は恋愛に依存するほど弱くない、と頑張ろうとすればするほど泥沼にはまり、いつも高ぶり、とにかく周りの人間関係全部が悪くなりました。

 

 

そのうちに、私はまた更なる刺激を求め、また別の男性と関係を持ちました。その人との間にも互いに愛情はなく、ただ単に時間つぶしの相手でした。

 

誰も、「私」を必要としてくれない。ただ、若いということと女であるということだけでしか、私は人のそばになれない。そんな悲しみがいつも渦巻いていました。

 

 

毎日毎日、一瞬の落ち着きもありませんでした。何も冷静に考えられなくなっていました。自分の未来が見えない。心の奥底の不安。喜びのない毎日。嫉妬や憎悪や、空虚。

 

 

自分の心のなかに、どういったドロドロしたものしかないと気づいたときはもう遅く、私は、あまりに多くを失ってしまったと思いました。

 

 

自力で脱出できるとは到底思えませんでした。こんなにもどうにもならないものがあるのか、と自分の底の浅さと無力さを思い知りました。気付けば毎日、泣いていました。

 

 

ある夜。私は布団に入って、障子を見つめていました。ただ一心に見つめていました。そして、また自分が泣いていることに気づきました。私は思いました。

 

 

「…ここは地獄だ」、と。

 

 

私は、それまで『地獄があるなら堕ちてやる、死んでからの事なんか関係ない、今がよければそれでいい』と思って行動していました。それでいいと思っていました。

 

ですが、実際に自分の欲望に従って行動した結果。

 

なんということはない、「生きながらにしてこの世が地獄になるのだ」と思ったのです。

 

********************

 

 

…ここから、私が性行為に頼らなくなるまで3ヶ月の間、私は《ある事》を受け入れて過ごしました。それは、この世界の真実とも言えることでした。

 

今回それの核心部分を3つ+受け入れるために行う1つのアクションをメールマガジン形式でまとめました。 

 

 

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ここで書いてもいいのですが、ある程度読む人を選びたいという事でこういうカタチを取ります。今では、私はこんなことに頼らずに心の奥底からの安心と充実を感じることができていますし、

 

 

このことをオープンにしたい、といって許してくれるパートナーとも出会いました。心からの安堵、充実感。あの時の私が、のどの奥から手がるほど欲しいと思い、手に入らないと絶望していたものを、今私は手にすることができています。

 

 

このブログにたどりついた方が、少しでも多く苦しみから解放されることを願います。

 

 

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