存在に耐えられない軽さだとは思わない

この世の旅路は果てしない。「主よみもとに近づかん」が好き。

藤井圭子さんの【悟りと救い】  尼僧からクリスチャンになった方の証し。求道中のかなり初期に読んだ本。

 

この本を、私が大阪にいた大学生の時(つまり求道のかなり初期)に勧めて貰った。おそらく私の実家が「仏教のお寺」であることとリンクすると思われたのではないだろうか。

 

 

 

 

この藤井圭子姉妹は、ふつうのおうちで生まれて求道して一度尼僧になって、それからクリスチャンになったというのだから、笑えるくらいまったく状況が違うのであるが、

それでも興味深かった。

 

 

広島県呉市で生まれ育った藤井さん。「人の命はなんて儚(はかな)いのだ」「なぜ自分は生きているのか」「真理とはどこにあるのか」を追求するようになったという。

 

 

広島大学医学部に進学し、医学生としての忙しい毎日が始まった。同時に仏教への探求心も忘れられず、佛教大学の通信学生として仏教学も熱心に学んだ。しかし、藤井氏が探していた「真理」に出会うことはなかった。

 

机上の勉学では「真理」に会うことはないのではと考え、京都で修行に入ることに。すでに医者として歩み始めていたが、髪の毛を剃り落とし、袈裟を着る尼僧になった。粗食を貫き、勉学に励んだ。

 

勉強をすればするほど、「お釈迦様は偉大な存在だ」と思うようになった。

 

しかし、「それは人間の到達する範囲のもの」で、お経は人間の観念が生んだものではないかと思うようになる。「結局、仏教は人間の理性で作り上げたもので、『絶対真理』ではない」と悟ると、失意のどん底へ。

 

大きな傷を抱えたまま、もう一度小児科医として出直そうと実家のある広島へ戻った。

 

www.christiantoday.co.jp

 

 

ガッツのある女性である。医学部に進んで勉強しながら、求道もして、修行によって尼僧になるなんて。

 

 

そのとき私は、大学で絵を描いていた。が、授業に絵に、日々の生活に、ほんとうに「いつもギリギリ」だった。

 

 

ギリギリすぎて、いつも教会にいくのは決死の覚悟で行っていたし、聖書もあまり読めなかった。

 

 

そんなギリギリ生活をしていたからこそ、自分の限界もわかっていたし「ストイックに勉強できる上に修行もできる」人への尊敬の念は禁じえない。

 

 

そんな人、私なんかよりもよっぽど頭がよく物事を知っている人が「修行」の末に見た風景は「仏教の概念は人間が到達する範囲のモノ」という考え。

 

 

ここから藤井さんがどうやって神の道に導かれたかは、上にリンクを貼っているクリスチャントゥデイ・にも詳しく乗っている。

 

 

 私が最初に藤井さんのことを知ったのはこの本であるが、こうやってネットを開ければこういう方のあかしが読めるのだからいい時代だと思える。(←