クリスチャンにとっての結婚とはなんぞや?教会の先輩から教わったこと。
こんにちは、かすがです。四国の小さな寺で生まれ育った末にクリスチャンになったアラサーです。
今私が通っている教会には、お世話になっているクリスチャンホームの一家がいます。とてもうらやましくて、私の「理想の家族像」のひとつです。
だから、聴いてみました。奥さんに。「結婚するとき、何で決めましたか?」と。
◾️ 「聖霊のみちびき」がわからない
というのも、私は自分の結婚に自信がないのです。散々祈って、さんざん聖書を読んで、さんざん考えて、決めたことではあるつもりですが、私は「聖霊の声」みたいなのが聞こえるタイプではないし、「これは『みこころ』とかではなくて自分の意思でしかないんじゃないのか・・・」というギモンがアタマをもたげているからです。
「いや、でも神さまは私たち人間に『自由意思』を与えてくださっているから、最終の意思決定は私たちにさせるものだ。だから、この決定がたとえ私たちが『神のみこころ』をはき違えていたことでも、そののちも祝福してくださる。アダムとエバを楽園から追放したときに、皮の衣を着せてやったように」
そんな言葉を繰り返しては、自分に言い聞かせていました。
それでもやっぱりどこか心許なくて、わたしは人生の先輩でもあり信仰の先輩でもある姉妹に話を聞きたいと思いました。
すると姉妹は、自分が結婚を決めた理由を話してくださいました。それは決してご高尚なものではなく、クリスチャン的にすばらしいなぁとかそういうものではありませんでした。ごく普通の、女性的な感覚から生まれるモノだと思いました。
それを聞いて、私は安心しました。
で、続けて『私は結婚が不安なんです』というと、こんなことを続けて話してくださいました。
「ヒトって、色んな顔があるじゃない?教会での顔、家での顔、職場での顔…。そういうものをひっくるめて、『この人とならどんな苦難でも耐えれる』と思うのであれば、いいと思うわ」
「逆に、結婚してから相手の嫌な一面が見えた時、『ああ、この人こんなところがあったんだ。こんなはずじゃなかった』って思うなら、そのときは私は『自分の愛の限界』のほうに目が行くわ」
「人間は完璧じゃない。私も相手も。でも、イエス様の愛は完璧だし、クリスチャンホームはそれを基に立つもの。母親の子どもに対する愛情は深くて大きいように感じるけど、イエス様の愛はそれ以上よ」
「もちろん、鬼みたいに怒ってしまうこともあるけど、そういう怒りはちょっとしたらすぐ忘れてしまうしね(笑)」
「そして、クリスチャンホームは周りから見て『これがイエス様の愛なんだ』って示していく役割もあると思うの。」
的な感じのことを話してくださいました。
◾️ 大事なこと3つ。
①「この人となら、苦難を乗り越えられる」と考えているか?
②イエス様の愛は完璧だと信じているか?
③『イエス様の愛を基にした家族はこんなにステキなんやで』と周りにみせびらかす覚悟はできているか?
先輩の話から、こんなことを自問自答しました。結局答えはぜんぶ「はい」だと思いました。
「やってみたいと思うならやってみたらええやん」そんな風にもう1人の自分が言ってきた気がしました。
ーーーーー後日談ーーーーー
結局2016年の6月に結婚しました。それからしばらくして思ったことをこちらの記事に書きましたので、ご興味があればご覧ください。
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