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失恋を味わおう。結婚を考えてるクリスチャンへKGK主事からの意外なススメ

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こんにちは、かすがです。
 
四国の片隅の寺の末娘として生まれて、なんやかんやでクリスチャンになったアラサーです。既婚。
 
2018年3月に、自分が通っている教会で「クリスチャンの結婚について」みたいな交流会&学び会がありました


 
以前横浜の教会での講演内容がよかったということで、私の通っている教会の牧師夫人がシェアをしてくれるということでした。話し手はキリスト者学生会(KGK)の総主事:大嶋重徳という方。


 
私は既婚者ですが、「結婚したクリスチャンの夫婦にも役に立つと思う」という牧師夫人の勧めもあり、参加してきました。


 
これがなかなかよかったので私からもこうやってブログに書いています。「結婚考えてるけど、この人でいいのか悩んでる。タイミングもわからん」といった人に向いているような気がしたので、そんな感じの人に向けてまとめたいと思います。


 
 
■ スピーカー大嶋ご夫妻について


 
KGKに参加されている方だとご存知の方も多いのかもしれませんが、知らない方も多いと思いますのでスピーカー役の大嶋ご夫妻について簡単に紹介します。


 

 

oshimaweb大嶋重徳 (おおしましげのり)
京都府福知山市出身。田舎ヤンキーばかりのバスケ部に入り、ビーバップハイスクールに憧れて教会から綺麗に離れた中学生時代。16歳の時に洗礼を受けて、今度は綺麗に律法的なクリスチャンに転向。その後はもろもろあって、哀れみの中で信仰を保ち続けている。
1997年からキリスト者学生会主事となる。神戸改革派神学校卒業。2011年Australia Sydneyで、Moore Collegeでサバティカルを過ごす。その際、シドニー日本語キリスト教会で奉仕。在外邦人伝道の意味の大きさと重みを知る。現在はキリスト者学生会副総主事・学生宣教局長、沖縄地区担当主事。15歳の娘と13歳の息子の父親。趣味は料理。著書『若者と生きる教会』(伝道と教会形成研究所)、『おかんとボクの信仰継承』(いのちのことば社

講師紹介 より引用)

 

 奥様:大嶋裕香師(※公式っぽい写真がなかったのでようつべを埋め込んでおきますね)

youtu.be

 


私はお2方にお会いしたことがありませんが、重徳師のラジオを一度聞いたことがあるのと、結婚前に裕香師の本を読んだことがあります。今日はこのお二方のお話ししてくださったことを紹介していきます。



■  聖書は「結婚」を大事にしているーーなぜなら聖書の超初期で触れているから


 

oshimaweb「聖書を全体で見ると、『結婚』という概念がかなり最初の方に出てきていることがわかる。クリスチャンにとって結婚は祝福されること」

(実際には牧師夫人からの又聞きなので口調は正確ではありません。内容は渡されたレジュメ・牧師夫人のお話しにだいたい沿っています)

 

「そもそも、聖書は結婚を勧めているのか否か?」という点への回答ですね。師が取り上げたのが人類最初の結婚・アダムとエバについてです。
 
 

また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。
そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。
それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。
そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。
それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。(創世記2章18節〜25節)
 

 

 「クリスチャン 結婚」でぐぐったときにトップに出てきたこちらのブログに冒頭にこんな文もありましたので、もしかしたら「クリスチャンって結婚したらあかんのん?」と思っている人もいるかもしれません。

 

聖書は「結婚」して神に仕えるよりも「独身」で神に仕えるほうがよりよく奉仕することができると教えます。

クリスチャン(特に女性)の結婚事情は結構深刻なのです。~その1~

 


これだけ読むと「結婚そのものが信仰的ではないのでは?」と思えてしまいますが、ここまで断言できるほど聖書は独身を推奨しているわけではありません(少なくとも私の属している共同体はそう考えてると思う)。

 


 
おそらくこちらの方は独身の方への配慮でこう書かれたのだと思います。(日本の現状だと、結婚している方がまだマジョリティだと考えられたのかなと)

 

 

確かにコリントの信徒への手紙一 第7章1-7節には、「独身が望ましい」と思える箇所があります。
 
 
 

さて、あなたがたが書いてよこした事について答えると、男子は婦人にふれないがよい。
しかし、不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい。
夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである。
妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。
互に拒んではいけない。ただし、合意の上で祈に専心するために、しばらく相別れ、それからまた一緒になることは、さしつかえない。そうでないと、自制力のないのに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑するかも知れない。
以上のことは、譲歩のつもりで言うのであって、命令するのではない。
わたしとしては、みんなの者がわたし自身のようになってほしい。しかし、ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいていて、ある人はこうしており、他の人はそうしている。
次に、未婚者たちとやもめたちとに言うが、わたしのように、ひとりでおれば、それがいちばんよい。
しかし、もし自制することができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは、結婚する方が、よいからである。
(コリント人への手紙第一7章1節〜10節)

 


 
しかし、少なくとも私たちの群れは「独身も神からの賜物だけど、結婚もまた神からの祝福あってのこと」だと考えています。
 
 

それゆえに、エバはアダムの「わき腹」から取られたので彼の横にいるべきなのです。「こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。」(創世記2:20)「ふさわしい」と「助け手」ということばは、同じへブル語のことばです。この「エザー」ということばは、とりまく、守る、手助けする、助ける、助け手、救助という意味の語根から来ています。ですから、この語は助ける、手伝うまた手助けすることを意味します。エバは彼の「片割れ」としてアダムのかたわらにいて、彼の手助け、助け手となるように造られたのです。ひとりの男とひとりの女が結婚するとき、ふたりは「一体」となります。新約聖書はこの「ひとつになること」に警告を加えています。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」(マタイ19:6)(聖書は結婚について何と言っていますか?

 


 「結婚したい」って思ってるクリスチャンは「結婚したい」でおkよん、ということで「結婚したい」方は安心してお進みください。 
 
 

■「失恋を味わおう」!?アダムの独身時代から

 

oshimaweb創世記1章20節までがいわば「アダムの独身時代」。アダムの「ふさわしい助け手」は最初からいたワケではない。動物や鳥をしっかり吟味した上で、そこにふさわしい助け手がいなかったとわかった。しかも、エバを与える前に神はアダムに「深い眠りをその人に与えられた(20節)」とある。独身時代には「神から与えられた孤独」をしっかりと生き、それを「助け手を求める」大切さを自分で感じよう


 

oshimawebしっかりと失恋しておくことは大事。それは“自分の愛の足りなさを知る経験をしておく”ということ


 
「しっかりと失恋」ーーここの箇所が、私が時間をかけてブログにしようと思えた一番のフレーズでした。

 


教会関係者は婚前交渉(結婚していない関係でのセックス)は避けてほしいと思っているだろうから、結婚を前提としない付き合いにも後ろ向き…だと思っていたので意外でした。

  

oshimaweb「愛すること」の報いは、フツーは「愛され返す」こと。でもクリスチャンが目指したいのは「もっと愛せるようになること」だと思う。
 
 
例えるなら「好き」はお気に入りの花を切って、お気に入りの花瓶に入れておいて、お気に入りの場所に飾るような感じ。
 
「愛している」は、タネをまいて、水をやって、暑い日でも草をとって、咲いたときにたとえ自分の方をむいてなくても「よかった」と思える感じ。


人の恋愛感情(恋愛状態を作り出すホルモンが分泌される)のは「3〜4年」だと聞いたことがあります。しかし、結婚は「恋愛の先にある営み」です。もちろん、頭でわかっている人がほとんどであることも知っています。

 

でも具体的にどうしたらいいのかーーまずは「自分の愛の足りなさの自覚」、そして「愛」となどんなものなのか。それをこういうコトバにされた大嶋師のセンスに脱帽しました。
 


こういった話を聞くと、結婚と信仰は良く似ていると言われることを思い出しします。「それでも信じる(信じたいと思う)」「それでも愛する(それでも愛したいと思う)」という気持ちになれたときが、飛び込む目安になるのかなと思いました。
 


 
■  具体的なアドバイスやQ&A(※青字は補足)

 
 
・教会で紹介される人を最初から断るのではなくて、一度視野に入れてみて。ダメだったらダメでいいから。


 
※「教会で紹介される人」というのは、「自分のために祈ってくれている人の勧めてくる人」ということらしいです


 
・言葉を交わさずに愛はわからない。「相手の望む言葉」を使うようにしてみて。
 
 


※具体的には、大嶋裕香先生著作「愛し合う二人のための結婚講座 --わが家の小さな食卓から」に詳しく書かれています。私も結婚前に読みました。
 


 
・いろんな夫婦をみてみて。

 

※大嶋ご夫妻も、先輩ご夫婦との交わりの中で結婚関係を点検することを定期的に行われているそうです。


 
・交流会に出てみて。KGKや学生、教区、教団の交わりがあるよ。


 
・奉仕を一緒にしてみて。

※奉仕をすると、その人の信仰の姿勢がわかるから超おすすめ。


 
・愛し合っている夫婦はそれだけで宣教になる

 

ここからは、寄せられた質疑応答を紹介します。
 
 Q:クリスチャンでない人との付き合いはどう思いますか?

 

A:ダメだとは言わないが、愛しているなっら本気で伝道してほしい。教会に誘ってきてくれる人はきっとあなたのことを本気で愛してくれている人。

 

A:周りの人にも祈ってもらおう

 

Q:「みこころ」の相手だと、どうすればわかりますか?

 

A:(裕香先生の場合)「みこころ」の相手だとわかるようにしてください、と祈った。

 

A:(重徳先生場合)これからもこの人と一緒の時間を作っていきたいと思っておつきあいを始めたが、確信はなかった。「みこころ」の相手だと感じたのは、結婚式の誓約の瞬間だった。

→人によって確信の与えられ方は違う。

A:神様の「みこころ」を知っていくことはむずかしい。自分の「おこころ」にしたがってしまうことも多い。

 

A:聖書を読むときに、「神様の願い」に自分の想いを合わせていくことが大事。

 

Q:結婚の時期はどうやって決めた?(当時、裕香先生は社会人、重徳先生は学生だったそうです。)

 

A:(裕香先生)早く結婚したかったが、「重徳さんが決めた日に従うわ」という気持ちになってそれを伝えた。

 

A:(重徳先生)「重徳さんが決めた日に従うわ」という言葉を聞いて、「ここまで従ってくれるこの人を待たせることが愛だろうか?と思って、間も無く結婚した。 
 
Q:おつきあいはどこまでいいのでしょう?手を繋いでもいいのでしょうか?

A:「ここまではいいよ」とは言わない。二人で祈って神様に聴きながら決めてほしい。祈らずに相談に来る人がいたら、「自分で祈った?」と聞くようにしている祈って決めたことなら応援するよ、と伝える。

 

Q:「愛する」とは忍耐ですか?

A:忍耐もするけど、相手にたいして柔和であることも大事。「相手を忍耐させない努力」も必要

 

A:エペソ書に「夫は妻を愛しなさい」「妻は夫に従いなさい」」とある。夫は従われやすい夫になる努力を、妻は愛されやすい妻になる努力をしてみしてみて

 

Q:けんかをしたときのルールはありますか?

A:「次の日に持ち越さない」「ごめんなさい」をいう。仲直りのきっかけやルールを作っておく。結婚した後もメンテナンスは大事。

 

Q:結婚相手に出会えないのですが、独身に召されているのでしょうか?

A:50代後半んで初婚同士で結婚された方もいる。周りは結婚できないと決めつけていた雰囲気があったが、自分は「時が来たら神様がで合わせてくださる」と信じていた。自分で決めつけない方がいい。70歳で結婚された方もいる。

 

■  むすび

勝手な想像なのですが、教会(教団?)としては、結婚してなお信仰が強められていくようなパートナー…具体的には「似た信仰(近い考え方の教団)のクリスチャン」を選んでほしいんだろうなぁと思ってます。

 

かくいう私も「自分はよく会う人間の5人の平均値」説を採用していますので、そりゃ信仰の姿勢が理解できるパートナーを見つけるに越したことないわなと思います。

 

 

しかしながら、そんな方向性を示しつつ持ちつつ「あくまで自分たちが考えながら選択して」という感じを残しているのはこの教団(日本イエス・キリスト教団とかその周辺)っぽいなぁと感じます。

 

 

私も、自分の生活を点検しつつ結婚生活を歩いていきたいと思います。結婚生活が2年目になり、喧嘩や苛立ちも増えて来ましたが「神により頼める」ということだけで大体の苦しさを乗り切れてしまうのは本当にすごいと感じる日々です。

 

 

 

↓ブログ中で紹介した大嶋裕香師の結婚講座本。

 

 ↓私は今回の話を聞いて大嶋師の本が読んでみたくなりました。これが気になります。


 

【他にもこんな記事があるよ】

kasuga-1221.hatenablog.com

 

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 【結婚生活のテンションが下がってきたときに景気づけてみると良さげな映画】

kasuga-1221.hatenablog.com

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