存在に耐えられない軽さだとは思わない

この世の旅路は果てしない。「主よみもとに近づかん」が好き。

【依存脱出記】私は今日も太陽を沈める。鬼束ちひろの「嵐が丘」とは何だったのか。

 

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こんにちは、かすがです。

 

私、こういう↓↓状態になった時代がありまして。

 

 

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自分史上最大の暗黒期だっただけに、色んな思い出があります。

 

前回、「脱出でき始めたときの心境の歌」として鬼束ちひろさんの「眩暈」を挙げたのですが、

 

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「暗黒期まっただ中」という感じのときにすっごい好きだった曲もあったなぁと思いだしました。それが、こちらの歌。

嵐が丘」。

 

 

全てにおいて幻覚的で

私は今日も太陽を沈める

 

 

 

美徳は信じて裏切る速さだというのに

なぜまともでいられないの?

 

 意味はよくわかんないんですけど、とにかく「絶望的」な感じがしますよね。

 

そして私は怪獣になった

共犯者はもういない

 

 

日常、このヒステリックな様を不自由に保つために

だから私は頷かなかった

無傷で過ごせたとしても

奇妙な揺れを待ってるの

心を震わせながら

 

 ここの「日常、そのヒステリックなさま」というところが何と自分の環境にヒットしているような気がして辛かったです。

 

私の場合は、この歌詞に「この世界で『日常』と呼ばれてるものほど、恐ろしいモノはない」であるとか、「誰しもが『あたりまえ』にできてることがどうして私にはこんなに苦痛なの?」とか、

 

そういう気持ちを反映させてたような気がします。

 

「怪獣」っていうモノになりながらも生きようとする様、みたいなのを肯定されたと感じたのかもしれません。

 

当時の私は精神的に外道の域に堕ちていたことは間違いなく、それでも生きる、誰を蹴落としてでも生きる(社会的に生き延びる)、誰かが不幸になってもかまわない、なんなら私が殺してやる、くらいの精神状態でしたから・・・。

 

「怪獣」って表現がまたなんとも言えないですよね。「怪物」じゃないんですよ。「怪獣」なんですよ。ちひろ嬢は何が言いたかったんでしょう・・・。

 

そんな私でも、それでも生き延びて、今に至ります。

 

確かに、誰かは傷つけただろうと思います。誰かを心の中で殺したことも何度もあります。それでも、今、生きることが赦されている・・・。

 

何とも、度し難い現象です。

 

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