存在に耐えられない軽さだとは思わない

この世の旅路は果てしない。「主よみもとに近づかん」が好き。

お義兄さん・お義母さまから教わった「教会選び」の基準とハイデルベルク信仰問答  

私と結婚する予定(全く持って未定ではあるが)の男性は、クリスチャンホーム育ちである。

 

お母様お父様、二人ともクリスチャンで、(お父様は他界されているが)お母様は信仰歴40年になるそうだ。

 

お母様の洗礼を受けた日は私と同じで、私がクリスチャン2歳になったときにお義母さまはクリスチャン40歳になったという。

 

 

お母様の証しを聴いていると、おかあさまは私とはまるっきり正反対の信じ方をしたのだとわかった。

 

 

 

私は疑って疑って5年かかったが、お母様はわりとすんなり信じて、もう次の日にはすでに福音を述べ伝えに走ってたと言う。

 

 

 

「最初に入ったのがエ●バの証人だったら、すごい勢いで伝道してたかもしれないわね~~。あそこは宣教ノルマがあるから」

 

 

とあっけらかんと話していたのが面白かった。

 

 

私のパートナーくんは、私と出会った時は教会にも行ってなかったし、一時は信仰告白(イエスを主として信じます、と口で言い表すこと)もしたが、かなり後退しているっぽかった。(これを私の教団では『バックスライド』という表現している)

 

 

求道中の私と出会って、彼と「聖書ってどうよ」「キリスト教ってどうよ」みたいに話すうちに、二人とも信仰の道に入った(私が一足早く入ったけど)感じだ。

 

 

だから、彼の方は「洗礼を受ける教会」(所属教会)を「これから探す」状態だった。

 

 

新宿で仕事をしていたため、新宿で探すことになったのだが、さすが大都会新宿、教会の種類には事欠かないせいで、めちゃめちゃいろんな教会を半年くらいかけて渡り歩いたのだ。

 

選択肢が多すぎて決められないパターンである。

 

で、なんでも信用していいと思っているわけではないので、とりあえず信仰の先輩であるおかあさまから教会選びの基準を聞いた。

 

 

(もちろん、「教会は人で選ぶものではなく神との関係を保つために行くものだ」という定型句での話はさんざんしたあとである。)

 

 

すると、こんな答えが返ってきた。

 

「ああ、三位一体を否定しなければそれでいんじゃない?」

 

 

かるっ!!!

 

でも、実にシンプルで本質的なメッセージだと思った。

 

 「まぁ、あとは『十字架』があるかどうかかな。イエス様の『絵』とかだとちょっと『ん?』って思う」

 

くらいなものか。

 

 

礼拝の方法が異言で祈ってるとか、フォークソング風のゴスペルコンサート風であるとか、そんなことでいちいち思い悩んでいた自分が恥ずかしい。そんなことは枝葉末節のことで、本質ではないだ。

 

 

ためしに、彼は新宿でかなり活発なペンテコステ派(礼拝中にライオンキングもびっくりな言葉を発したり、天を仰ぎたじめたりする激しめの礼拝)の教会にお母様を連れて行ったらしい。

 

するとお母様からはこんな感想が。

 

「ああ、あるある。こういうのもいいわよね。でもずっと通ってると疲れちゃうかもね~。礼拝メッセージは、私にしてみたら『おやつ』みたいなかんじね。たまに食べたくなる感じだけど、毎週なら飽きちゃうかも」

 

_人人人人人人人人人_
> 『ああ、あるある』 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

 

_人人人人人人_
>  おやつ   <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄

 

 

 

『強ぇ…』と思った。

 

 

そこは、(礼拝動画も流している教会なので私も礼拝を見たことがあるが)、礼拝が激しいこと以外はメッセージは私的には「レベルが高い」と感じていた。

 

 

牧師先生はトークがうまいが、内容はすべて「主に栄光を返す」内容であり、教会としては良い教会なんだろうな、と思っていた。

 

 

ただ、今まで私は「異言で祈る」教会には出たことがなく、その勢いのなかでいたら「賜物」とか関係なく「ノリ」で異言を話し出しちゃうだろうな、そういうのってどうなんかな、カルトって言葉は使いたくないけどそういうとっからうまれるんちゃうんかな、でもメッセージはすごくわかりやすいし勉強になるしどうなんかなあーだこーだ…とウジウジ悩んでいた私にとってはもう目からウロコどころの話ではない。

 

 ということで、ぜひ参考にしてみてほしい。

 

もちろん、実際にアレな教会に行ってしまって傷つく人もいるから、こういうサイトとかでセカンドオピニオンを求めてみてもいいんじゃないだろうか。

 

▼▼▼▼▼▼▼▼

I don't know who I am: 【解説】カルトっぽい教会を離れた後の話1~3

 

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blog.livedoor.jp

 

 

ちなみに、結局このペンテコステ派の教会には所属していない。たまに礼拝動画を見る。

 

ちょっと番外編になるが、お母様の言葉でこんなセリフも印象的だった。「牧師に権限はないけど教会にはあるからね」。

 

 

■「障害者がいない教会は、ちょっと注意してみたほうがイイかも」

 

彼にはお兄さんもいる。お兄さんはすでに洗礼を受けていて、人生の先輩としても進行の先輩としてもかなり深いことを言う。あっけらかんと深いことを言う。

 

 

教会選びで悩みつつ、洗礼準備をしている時に、彼はお兄様から「ハイデルベルク信仰問答」という本を通して学びを受けていた。

 

 

そんなときに、お兄様から教会選びに対してこんなことを提言されたらしい。

 

障碍者がいない教会は注意してみたほうがいいかもしれない。」

 

「おれんとこはいいんだ、俺が障害者だからな。」

 

 

と。

 

 

まぁ聞いた話ではあるが、そういう風な人を除外する教会も存在するらしい。もちろん、教会は「病人」が行くところであって、選ばれし特別に能力が高い人が行くところではないにもかかわらず、だ。

 

 

教会のカルト化、というのはあんまり身近に思えないかもしれないが、私の知人が「大学で言った先がちょっとアレな教会で、激しく消耗した」みたいな話もちょいちょい聞くので、「あたりまえのように」そういうものは日常に溶け込んでいるんだなと思った。

 

 

私だって、気に入らない強化を「あそこはカルト」と言ってしまえばどれだけかラクになるが、それが善いことではないとも思っている。

 

 

 

私たちに与えられている秤は、ただ聖書に拠るということを忘れてはいけないと思う。

 

 

 

■ 結局彼は私の所属する教団とおなじとこに属しました

 

私は、今まで日本基督教団と日本イエスキリスト教団で考えていた。私の住んでるところは田舎なので、あんまり選択肢がない。イロイロ紆余曲折したものの、私はそのまま最初に導かれた教会の教団に属したのだ。

 

 

ということで、それもまぁ導きじゃね?大事なのは洗礼受けてから自分が神さまとの関係をどう保つかでしょ?教団なんてどうでもよくてクリスチャンは主に合って一つだから、さくっと移動できるところにしようぜよ、という話しになって、彼も私が属した教団で洗礼を受けた。

 

 

ちなみに彼はホーリネス教団・ペンテコステ派の教会・日本基督教団・日本イエスキリスト教団・ルーテル教会と回り、最終的にホーリネスの教会がいいかも~と言っていたが、イロイロと話しているうちに考えが変わってきたようであった。

 

 

ハイデルベルク信仰問答の話しができなかった…;

 

 

こんなサイトを参考にしてみてね☆

 

ハイデルベルク信仰問答の学び