存在に耐えられない軽さだとは思わない

この世の旅路は果てしない。「主よみもとに近づかん」が好き。

【ヤベツの祈り】金銭的な不安に襲われた時にさらっと読みたい  

 

こちらも、教会(プロテスタント福音派)の先輩姉妹に教わった「オススメ本」である。うすいし、とても読みやすい。

 

 

 

実質書かれているのは、第一歴代誌の

 

「ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。』そこで神は彼の願ったことをかなえられた。」

 

(歴代誌Ⅰ 四章十節)

 

 

 

 という一節に対してのあれやこれ、である。

よくもまぁこれだけ長々とかけたな!?っちゅうテイストの本である。だからこそ、手元に置いて、ちょっと「気分が落ち込む」「金銭的なことが不安になる」ときに読んでみるのもおススメなのだ。

 

 

 

聖書を読め読めと言われるが、人生には段階があってもいいんじゃないかと思う。

 

クリスチャンになったばっかり(もしくは求道中)の人たちで、聖書を読むことが定着化していない時は、少しみことばにふれただけでもよし、としていかなければ逆につまづく、というのが私の持論なので、このくらいのうっすい本をおススメしたい。

 

もちろん、クリスチャンが金銭的に祝福されるとは限らない。金銭的祝福が得られますといってしまったら、それはちょっとちがうのである。

 

だが、この世に神の計画をもって生まれた私たちが「誰が」「何を」神に期待されているかは、わからないのが実際であるのだ。

 

ぜひ読んでみてほしい。

 

旧約聖書には、数多くの、神に聞き入れられた祈りが記されています。その中でも、非常にシンプルでわかりやすいのが、ヤベツの祈りです。この祈りには多くの方が共感されます。それは、率直に自分の祝福を祈る祈りだからです。祈り方に優劣はありませんが、一般的には、他の方のために祈る、「とりなしの祈り」が祈りの場でも多く祈られるように思いますが、本当に試練の中にある方にとっては、まず自分の問題を何とかしてほしい、自分を祝福してほしいというのが本音ではないでしょうか。ヤベツの祈りは、幼子のように、自分の祝福を求める祈りなのです。

「ヤベツの祈り」 - 与野キリスト教会

 

 

「そうだよな、神様っていうのは良いお方なんだよな、本来。だからこんな祈りだってありなんだよな。」っていうことに改めて気づかせてくれたってわけなんです。そんなことで、この「ヤベツの祈り」が与えてくれたものは限りなく大きなものなのでした。

 そんなことたったの数行で教えてくれるなんて、ほんと、すごいじゃないですか、ヤベツって!

 

「大ブレイク!ヤベツの祈り!」の巻