存在に耐えられない軽さだとは思わない

この世の旅路は果てしない。「主よみもとに近づかん」が好き。

家族で《自分だけがクリスチャン》な人に。「家の仏壇に対してどう接するか」

こんにちは、かすがです。

 

これを読んでいる方のなかには、クリスチャンがいらっしゃるかと思います。(というかクリスチャンくらいしかヒットしないかな・・・)

 

まだ求道中であったり、信じて間もなかったりするときに、こういう悩みにぶち当たる方も多いのではないでしょうか?

 

「家の仏壇に対してどう接するか」という問題に。

 

ほら・・・たまにニュースになるじゃないですか。神社に灯油まいたり、仏壇破壊したりする過激な信仰をもっている人・・・(原理主義とも言われますが・・・)

 

確かに、旧約聖書などを読んでいると、異教徒をバッサバッサと殺したり、全滅させたりと言う残酷な描写も十分すぎるほどある聖書。

 

ですが、現代においてそういう態度でいることがクリスチャンとして正しいのか、というと「そうだ!」と言い切れる人の方が少ないのではないでしょうか。

 

 

かといって、どう接していいのかわからない時もありますよね。

 

 

とりあえず、私が教わった接し方を記します。

 

 

2016年の1月、私の主人が超教派の断食祈祷会に出ました。

 

 

断食をしながら、牧師先生方のメッセージを聴くという会で、もう18年くらい行なわれているそうです。

 

そこで、聖霊派のある先生がこう言っていたそうです。

 

「仏壇や神棚は、その家の『主人』である人に処分してもらうといいでしょう。そのために、家族にも忍耐強く伝道しましょう」

 

と。なんのことはなく、至極正当でまっとうな方法だと思います。

 

 

「使徒の働き」16章31節に、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」とあることを適応するとこうなる、とのこと。

 

(この箇所についてもっと知りたい方はこちらに↓)

 

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」という聖書の言葉はどういう意味ですか? | 聖書入門.com わかりやすい解説で、聖書の言葉を学ぶ

 

■ 後日、所属教会の牧師先生にも聴いてみた

 

後日、所属教会の牧師先生にも聴いてみました。牧師先生も同じような解答でした。

 

「それは、スリッパを履く習慣がある家におじゃまして、『自分にスリッパを履く習慣がないから』と言ってそのスリッパを捨てるようなものですね。

 

常識を疑われますし、愛もないやり方ですよね。あと、それだと『先祖を大事にする』という、本来的には良い感覚も失われてしまいます。

 

今までの日本のキリスト教は、その辺のやり方を極端にしすぎた例があります。私はそれは良いことだとは思ってませんね。」

 

とのことでした。スリッパのたとえはわかりやすかったです。

 

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