「徳川家康が存在したことだって信じられない」人にイエスの「実在」を信じてもらうには
※2016年、11月10日追記。
こんにちは、かすがです。
ご存知かもしれませんが私はクリスチャンです。
なので、『神さま』というものの存在を信じています。かつ、その神が聖書に書かれている神だと思っているし、イエス・キリストも神の姿の一つだと思っています。
これに反対する人の意見はよくわかるし、
私自身、そういう疑いの時期を経て今に至るので、
「なんで神なんて存在すると思うの?」
とか
「どうしてイエスを神と思うの?」
であるとかいう疑問には、自分なりの答えを用意してきたつもりでした。
ですが先日、予想外の疑問を投げかけられてしまい、言葉につまってしまいました。
それが、
「イエスって実在したの?見てないのになんで信じるの?口裂け女とかと同レベルでしょ?」
という話でした。
このギモンを投げかけてきたのは知人の女性です。故人ですが女優の川島なお美さんに似ているのでなお美(仮名)さんとしましょう。
なお美(仮名)さんに言いました。
「歴史上の人物であることは否定できないはずですよ。なお美(仮名)さんだって、歴史上の人物・・・例えば徳川家康の存在は信じますよね?」
すると、こんな返事が。
「徳川家康だって信じないわよ。適当に側近の人が作った作り話かも知れないじゃない。あたしは自分の目で見たことしか信じないのよ。」
『ふ、ふむ・・・!近代にかなり近い歴史上の人物とされている人も信じないのか・・・。どう説明したら納得してもらえるんだろう・・・?』
ということで、
【『自分の目で見たことしか信じない』という人間に「イエスの実在「を納得してもらうにはどうすればいいのか?】
改めて答えとして持っておかなくてはいけないかな、と思い、ツイッターで投げかけてみました。
そこで、いろんな方の返事をいただけたので、今日はそれをまとめてみたいと思います。
■ なお美(仮名)さんの情報
(画像はイメージです。)
●自称「自分の目で見たものしか信じない」
●徳川家康の存在も信じない
●与謝野晶子の実在は信じる。祖母が文通をしていたという話を、祖母から聞いたから。与謝野晶子直筆の掛け軸が家にあり、九州の大学に寄贈したという過去がある。与謝野晶子の生家とされる家が近くにある。
■ エルヴィス・プレスリーあたりをひきあいに出す
@2Kasuga だったら僕が子供の頃にはエルヴィス・プレスリーは既に死んでいたから、彼も信じられないって話になりますよね?
— 石田ゆばる (@Jubal1Q84) 2016年9月17日
(^_^;)
でもエルヴィスのレコードや雑誌や新聞記事などの文献は残ってます。生前の彼を見てなくても証拠があるから信じれる訳です。(続く)
@2Kasuga (続き)イエス様についても我々は実際に見てはいないけど信じてます。
— 石田ゆばる (@Jubal1Q84) 2016年9月17日
論拠としては聖書や、たくさんのアート。文献。
実際に自分で見てなくても信用に足る証拠は存在します。
どうですかね?そういう方をアルファ・コースに招いてみては?
@Jubal1Q84 @2Kasuga うん。だけど、幽霊や妖怪やUFOだって、証言や写真、いっぱいあるんですけど(^^;ってなるので、その論法は止めた方がいいと思います(^^;
— キドぴゅ~☆ (@Kido_pyu) 2016年9月17日
@Kido_pyu @2Kasuga 証拠の信憑性を論じればいいとか思うんですけど、それやっちゃうとたぶん殴り合いのケンカになるんでオススメできないですね。すみませんでした。
— 石田ゆばる (@Jubal1Q84) 2016年9月17日
m(__)m
■ 西暦やクリスマスなどのデカイ概念を持ち出す
もしもイエスキリストが実在せず、ただの空想の人物に過ぎなかったとしたら、私たち日本人までもが「2016年」という西暦を使うに至るまでの影響力には、到底及ばないと思う(~ 'ω' )~ @2Kasuga
— きつね (@monq_ichthus) 2016年9月17日
もしイエスキリストが実在していなかったのなら、空想の人物の誕生を祝うクリスマスを世界中でやっているなんて、本当にバカげてますよw
— きつね (@monq_ichthus) 2016年9月17日
「イエス到来前、とイエス到来後、で歴史を分けよう」なんて動きを架空の人物のためにやるなんて、誰も賛同しないはず@m051016sky @2Kasuga
■ 歴史を踏まえて話す
歴史的事実でも消されてきたことはごまんとあるでしょうね。だけど徳川家康ほどの人がいなかったら、明治維新もないし、その後の戦争も、現在も、現在の様では存在しないのが明らかなように、イエス様がいなかったら、十字架にかけた、ポンテオピラトも消え、
— 終わりの時代の兆し (@OW8DY4E27MdyzDy) 2016年9月17日
@OW8DY4E27MdyzDy ローマ帝国もなかったことになり、次々歴史的事実が消えて、吹けば飛ぶよな私こそ、いの一番にいなかったことになります
— 終わりの時代の兆し (@OW8DY4E27MdyzDy) 2016年9月17日
@2Kasuga 「教会に残った伝承の中で、誰がどう見ても教会に不利なものは史実」でしょうね。たとえば、イエスという男が捕まって殺されたということ。これ、教会の中で語り継がなくちゃならなかったのは、歴史的事実でここからは逃げきれなかったし、復活もこれ抜きでは語れないから。
— dmbkZ (@dmbk4z) 2016年9月17日
■ 感情に訴えかける
@2Kasuga 「ローラ・ビーチ」という詩がありまして。https://t.co/CQ74IhfY3n
— 281028 (@281028) 2016年9月17日
■ ロジカルに話す
@2Kasuga 与謝野晶子はおばあちゃんという1人の証言と掛け軸と手紙という捏造可能な証拠から信じられるのに、100人の言い伝えの徳川家康が信じられないというのは不思議ですね。手元にある一点ものの証拠より、広く拡散した証拠の方が信頼性は高いはずです。改竄が難しくなるから。
— makochan♪ (@makoJOSIAH) 2016年9月17日
@2Kasuga イエスに関する証言は、帝国の片田舎の弱小民族のことにしては、非常に多くのものが残り、かつその証言は改竄が非常に難しいレベルで広く早く拡散しています。
— makochan♪ (@makoJOSIAH) 2016年9月17日
@2Kasuga イエスの信奉者が紀元60年代にその発祥の地から遠く離れたローマの地において一大勢力を築いていたことは、史家タキトゥスの証言であって、キリスト教世界と独立の証言です。独立性の高い複数の証言が信頼性を強くします。
— makochan♪ (@makoJOSIAH) 2016年9月17日
@2Kasuga その方も、与謝野晶子の存在をおばあちゃんからの伝聞とコレクションだけで信じているとは思えません。「世間の証言」+「直接与謝野晶子に関わったというおばあちゃんの証言」という独立性の高めな情報源からそのことが正しそうと導いているはずです。
— makochan♪ (@makoJOSIAH) 2016年9月17日
@2Kasuga 「非常に影響力の強い宗教指導者イエス」のことは、イエスの死後1世代以内の独立性の高い証言が得られています(タキトゥス+キリスト教世界、他)。キリスト教世界内部の文書も多方面でイエスを証言している上に、早く広く拡散したので執筆当時からの改竄は困難と思われます。
— makochan♪ (@makoJOSIAH) 2016年9月17日
@2Kasuga タキトゥスは直接イエスと会った証言ではないので、おばあちゃんの言うことを信じたその春日さんの友人と同じ立場です。その他の膨大なキリスト教世界の証言が、世間の証言と同じ立場でしょう。
— makochan♪ (@makoJOSIAH) 2016年9月17日
@2Kasuga 春日さんの友人の「イエスの存在証拠は足らない」という立場を採用するなら、「春日さんのその友人の言うこと」と「世間の証言」から、与謝野晶子の存在を信じるのは、証拠が足りなくて無理、ということになります。
— makochan♪ (@makoJOSIAH) 2016年9月17日
@2Kasuga つまり、いま春日さんにとっては与謝野晶子の独立な存在証言は世間に伝わるものと春日さんの友人から聞いたものしかないので、春日さんの友人の基準を採用するならば、春日さんの友人の言うことを信じるべきではありません。
— makochan♪ (@makoJOSIAH) 2016年9月17日
(状況が複雑w)
■ まずは「聖書を信じてもらう」
私はまず聖書が神の言葉と信じていただくことに専念します。回答遅いですね🙇すみません。 https://t.co/93n4YBexqu
— JFK (@jjffkkss) 2016年10月5日
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・・・と、多方面からご意見をいただけました。
ご協力くださったみなさま、本当にありがとうございました!!
個人的に話しやすそうだなと思ったのは、西暦やクリスマスの話題と、歴史を踏まえた話ですかね・・・。
(時間と私の頭の回転が許せばロジカルな話でもいいのかもしれませんが、ロジカルな話が心に響くのであれば、なお美(仮名)さんも自分の発言の矛盾にすでに気づいているのではと思うので・・・。)
あ、あと、後ほど探した本の中にこういう本話しもあったので載せておきます。
私は控えめなところから、しかし最も本質的なところから始める。何よりもまずイエスは、実際に特定の時代に特定の場所に生きた一人の人間だった。
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第一に、まず神話的なキャラクターを創りだそうとする人間が、彼の出身がナザレであるなどと提案することはあり得ない。しかし彼はナザレのイエスとして知られており、実際にガリラヤにはこの村があり、彼はガリラヤ人と呼ばれていた。
ナザレというのは小さく、汚く、取るに足りない、特に注目するべき特徴もない村である。ガリラヤの他の地区の人々さえ、この村を見下げていた。
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もしイエスが単なる神話的キャラクターであったなら、なぜ神話の作者たちが自分たちを困惑させるような神話を作るだろうか?
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私がナザレのイエスが実在したと断言する第二の理由は、彼が明らかに洗礼者ヨハネの弟子として公生涯を始めたことである。
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繰り返しになるが、私がイエスの実在を主張する理由は、イエスがヨハネよりも優れた者だと証明しようとする初期のキリスト者たちのこのたゆまぬ試みにある。
私が推測するに、イエスがヨハネの弟子であり、したがってヨハネの後に続くものという記憶は、各福音書が執筆されるまであいだにかなり知れ渡っており、その事実は記憶から消し去ることができなかったのであろう。
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しつこいようだが、もしイエス物語が神話であったなら、彼が洗礼者ヨハネの弟子であったというような不都合で些細な点が含まれることは決してありえない。
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第三の理由は、彼が処刑されたということである。初期のキリスト者たちは、彼の十字架刑による死を勝利であると主張するために途方もないエネルギーを費やしている。
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説明され、擁護されなくてはならないような事実がなければ、弁解がましい説明がなされることもない。イエスが実在の人物であったということは否定できないのである。
(ジョン・シェルビー・スポング著、富田正樹訳「信じない人のためのイエス入門」より引用)
ということで、今度いずれかの方法でなお美(仮名)さんに話して見ようかと思います。進展すればお伝えします~
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私の個人的なスタンスは、こんな感じです。非常に似た感覚を言葉にされている人のnoteがあったので、引用。
私だってこんな話が荒唐無稽で無茶苦茶に聴こえることは普通に一般常識で考えると分かる。人間が昇天したり死んで生き返るのは見たことないし、「どうやって」と言われたら全くわけがわからないからだ。が、「信じる」というのはそういうことじゃなく、誤解を与えたくはないが、論理の飛躍めいたものがあるにはある。ただ「謙虚」であるべきと思うのは、たかだか世間知らずの自分が「見たこと無い」という理由で「信じない」のは浅はかだということだ。自分の知らないことなんてこの世には無数にある。宇宙の果なんて見たことないけど実在するし、世界がどうできたかも目撃したことはない、いま地上にいる人も誰もそれを知らないわけだ。
いぜん教会に来たカナダの牧師が「車に鹿がぶつかって大変だった、車と同じくらいデカイ鹿で車ぶっ壊れた」と言っていた。無知な私は「牧師でも話を盛ることあるんだな、さすがに大袈裟やろ」とマジで疑っていた。ところが写真を見せてもらったのだが、本当に車くらいの鹿が世の中には居るのだ。私は正直いって疑り深い人間で、眼で見たことしか信じないタイプだ。だいたい世の中、嘘も嘘つきも多いし、今時はなんでも捏造できてしまう時代だし、怪しいことは多くある。とはいえ。
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