存在に耐えられない軽さだとは思わない

この世の旅路は果てしない。「主よみもとに近づかん」が好き。

(2018.12.26追記)阿波古事記研究会が楽しそうだけど強そうで近寄れない

こんにちは、かすがです。

 

みなさん、、日本の文化はお好きですか?私は好きです。どこまでが「日本の文化」なのかは沼なのでここでは詳しく言及しないこととしますが。

 

 

とりあえずこの記事の中では、「神社」とか「寺」とかいうライトなところを指してると思ってください。

 

私、四国の一番影が薄い県で生まれそだったのですが、数年前から、そこが活動拠点の『とあるFBグループ』に入ってます。

 

 

その名も、「阿波古事記研究会」

 

https://www.facebook.com/groups/374686305904852/?fref=ts

 

 

で、そのグループの投稿を見ていると、時おり面白い現象が起きていることに気づきました。今日はそのお話をします。

 

 

■ 阿波古事記研究会とは

youtu.be


阿波古事記研究会、とは、言うと「イザナミイザナギが最初に作った島は『淡路島』ではなくて徳島だった説』とか、『邪馬台国は四国にあった説』とかそういう古代ロマンを感じさせる説を追及して楽しんでるグループ・・・なんだと思います。たぶん。

 

中心メンバーは数人いらっしゃるようですが、主宰の人のプロフィールは良く存じません。

 

知人に「面白いよ」といわれたことをきっかけに、ためしに申請だけしてました。私も、幼いころは古事記を読んだりするのが好きな女子でしたから、

 

kasuga-1221.hatenablog.com

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昔取った杵柄、『ちょっと活動を見てみよう~♪』と思い、申請させていただきました。承認制の公開グループですが、基準はそんなに厳しくないようです。

 

 

徳島にいる間に一回は集まり(研究発表の場?)に行ってみたいと思っていたのですが、チャンスも体力も気力もなく断念。引っ越してしまいました。ですので、変わらずただただFBグループの投稿を横目で見る日々です。

 

 

当初は阿波古事記研究会というものに「悪い印象」も「良い印象」も持っていませんでした。

 

ですが、ある日、私の印象をガラッと傾かせる出来事に遭遇してしまいます。

 

それが、とある人のキリスト教一神教)disコメントでした。

 

■ 「一神教はココロが狭い!」

 

私が目にしたのは、「信じる人しか救わない矮小な神など本物の神ではない!自分たちが信じる八百万の神こそ真の神だ!」的なコメントでした。

 

おそらく60代~70代くらいの男性だったのではないかなと思います。そのグループで精力的に活動している一人だと認識しています。

 

正直、私は驚いてしまいました。

 

 

「え?そんなこと言っていいの?」と。

 

まあ、私も高校生くらいまではその方と同じ気持ちだったのでわからんでもないのですが…。でも大学生のときに教会に通うようになり、以来自分でも聖書を読み、一神教というものがそこまでシンプルにディスれるほど脆弱な構造のものではないと知る身となりました。

 

 

ましてや一神教は、世界的に見るとかなり大多数の信仰のカタチであります。

 

 

 ですから、非公開グループとはいえ3000人規模の大グループで私の何倍もの人生を生きてる先輩がこういう発言をされていることに驚いてしまったのです。

  

そしてコメント欄が荒れるのではないかとハラハラしてしまいました。

 

結局炎上はしていませんでした。でも個人的には残念に思いました。それまでは悪い印象は持っていませんでしたが、近寄りがたいなと感じました。

 

■ コントなのかも?

 

ただ、おもしろいことに代表格のお1人にはそういう「他信仰dis」みたいなのをたしなめる役?がいらっしゃるようにも思えます。

 

最近だと、こういうことがありました。

 

この記事で有名になった「野邊野神社」のFBグループをシェアした方がいらっしゃいまして、

www.nippon.com

 

「ここの神主は、神道は宗教ではないと言っているらしい。最近ではめずらしい、ホンモノがわかっている神主だ」

 

みたいな投稿をされていました。(記憶が間違ってなければ、一神教disコメントをした人と同じ人・・・)

f:id:kasuga-2-19-1-100110:20161114135702p:plain

それに対して「『宗教施設』と冠してますが・・・?」というツッコミなんだかなんなんだかよくわからないコメントを入れる、という。

 

『コントなのかな・・・??』と思いました。

 

正直、どういう意図でそういう発言をされているのかはわかりません。追ってコメント欄を見てもわかりませんでした。

 

でも、そういうバランスを保つ人がいらっしゃるからか、阿波古事記研究会は今日も炎上することなく平和に活動している様子です。

 

 

この外国人神主さんの記事にしても、これはこれで

例えばキリスト教では、人は生まれた時から罪がくっついています。つまり最初から重い荷物を背負っているわけで、一生懸命頑張ることによって、少しづつ軽くしていくことになる。しかし、原罪ですから決して消えて無くなることはないのです。

というキリスト教に対する初歩的な誤解を堂々と発信していらっしゃり、それに大したツッコミを入れる方もいないわけですので、四国伝道の役割につかれている方はとにかくがんばってください(遠い目)

 

ということで、今日も今日とて見えない壁を感じて私はいまもこのグループには立ち入れず、遠巻きに流し見しておりまする~~。

 

■ 2018年12月追記

 いまもダラダラとこのFBグループをたまに見ているのですが、またいくつか思うことが出てきました。

 

まず、「彼らにここまでの情熱を注がせるものは『選民意識』につながるのではないだろうか」という想像と「その意識が暴走するとき、おそらくそれを抑止する仕組みはないだろう」ということです。

 

「自分たちの生きる土地が、神々の土地であった」という証明を日々楽しく行っているということは、「我々は神聖な場所にいる」「我々は神々の子孫である」ということの証明に力を注いでいるとも言い換えられると思います。

 

これから未来を生きなくてはならない人間にとっては「だから何?」で一蹴できるものですし、その信仰と「リアルな人生」を結び付けられる構造を少なくとも神道は持ち合わせないんじゃないかなと思います。そういった意味でも、「過去を向いている人間たちのたわむれ」的な印象がぬぐえません。

 

 

あと、この数年で知ったことですが、ほんの数十前の戦時中日本は「天皇を神」としてそれを認めない宗教をしっかりと弾圧しています。キリスト教はもちろんですが、大本教黒住教なども弾圧の対象です。

 

 

一神教は心が狭い」とするならば、まあ日本もこうやって一神教だったことがあったわけですから日本の宗教も心が狭いのでしょう。これは戦争のために日本政府が作り上げた近代の思想でもあるでしょうから、「阿波古事記研究会」が言及したいような古来の神々が本来的だ、くらいのことは言えるのかもしれませんけれど。

 

と、そんなことを思っている日々であります。最近ではこのグループには日ユ同祖論の人なども普通に投稿して、それに疑問を投げる人間もいないようなのでやっぱりしばらく見てみます。度が過ぎているようだったらいつか注意してみたいなと思います。

 

 

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