「君は死ぬビジョンしか持っていない」ことは悪いことなのだろうか。クリエイティブではないのだろうか。
その頃、私は最小限に必要なものしか
置かないというリセットの時期でもあって
「君は死ぬビジョンしか持っていない」と
怒られたことがある(石川智晶公式ブログより引用)
自分の考え方、思考回路を見渡してみると、この言葉があてはまる。
石川智晶という、クリエイターとして生きている人でもそう思う季節があったのか。そして、それは「監督」という仕事をしてる人から怒られることなのか。
…そういう考え方は「クリエイティブではない」とみなされたのだろうか。
いや、監督云々は、私にとってはどうでもいいのかもしれない。現世に生きてる人なら、そういう考え方はわかる。私が気になるのは、クリスチャンのことだ。
このところ、「神の国」に入ることを望むクリスチャンにも、「死」を悪いことと考えている方のほうが多いような気がする。正直驚いている。
コヘレトの言葉、
1:2伝道者は言う、
空の空、空の空、いっさいは空である。
これに共感する人は、クリスチャンのなかでもそう多くないのかもしれない。
私は「死ぬビジョンしか持たない人間でも生きていける」ということを証明したい。
それが、私が神から与えられている使命ではないのかと思うくらい、そこにならば情熱を注げるからだ。
そのために今日もほそぼそと生きて、こうやってPCのキーを叩いている。
12:13事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。 12:14神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。
私の目には、「死ぬビジョン」しか見えない。