存在に耐えられない軽さだとは思わない

この世の旅路は果てしない。「主よみもとに近づかん」が好き。

おススメの「話の聞き方」動画紹介【伝道途中に相手の話を聞く、というフェーズが必要だと思う人に】

前回の話を受けて、

 

kasuga-1221.hatenablog.com

 イロイロと思うことがあったので、「話の聞き方」について参考になる動画を載せます。私はこの方から直接指導は受けていませんが、この系列のコーチングを学びました。

 

 

1~3までは「気持ちよく話してもらう」ためのノウハウを話してくださっています。4・5が、ガチで「コーチング」の話しなので、今までコーチングやカウンセリングを学んだ方でしたらわかるハナシもあるかと思うのですが、それ以外の方はキョトンだと思います。

 

もし、伝道する際に「人の話しを聞く技術」が必要だと感じられる方は参考にされてみるのはいかがでしょうか。

 

 

youtu.be

 

 

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www.youtube.com

 

本当は文字おこししたいのですが、いかんせん手が回らず。

 

 

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なかなか難しいものですし、「コーチング」する人を育成するためにも、相手に「コーチング」的関わり方で接するのが一番なのですが、最初はどうしても「ティーチング」というカタチを取らなければならないことがあります。

 

その部分です。

 

一応、聖書的にどうなの。。。?と不安になられる方に、ハーベストタイムミニストリーズの中川先生が発信している「聖書入門.COM」というサイトで関連性の高いやつをはっておきます。

seishonyumon.com

seishonyumon.com

 

 

ここでは、イエス様が弟子訓練に使われた方法が、現代のコーチングと呼ばれるものだという風に書かれています。

 

 

ハーベストタイムミニストリーズにもいろんな意見があるでしょうが、中川先生が信仰者であることはだれからみても明白ではないでしょうか。

 

 

というのは、私は「キリスト教の信じ方はざっくり2種類くらい」あると思っていて、例えば私の義母さま(予定)の方はハナシを聞いて2日目で信じたし、

 

 

人に拠るわけですよね。私は後者です。ここに架かれ地得るのは㎡後者タイプの方にお話をしたい時に向けてい書いてます。

 

ただ、むずかしいところは、コーチングには「技術」も必要なのですが、何よりも「マインド」の部分が大事なのですね。

 

 

例えば、コーチングは「心配」ではなくて「応援」する気持ちで相手に接する、ということ。心配と応援の違いをご存知ですか?

 

www.utsujoshi.com

 

徳島で個人メディアを運営していらっしゃるこぐまさんが、「引きこもり支援の会」で感じられたことをつづったこちらの記事にも書かれています。

 

「心配」とは「相手ができない」と思って接すること。

「応援」とは「相手ができる」と思って接すること。

 

コーチングはこの「応援」のマインドで接し続けることが、その「質」を上げることに直結します。

 

私は、これをとても大事なことだと思っています。たとえば「福音を伝えたい」と思っている時の私たちの気の持ちようはどっちなんだろう?と思うわけです。

 

 

私だったら、たぶん「心配」に振り切っていると思います。だってクリスチャン的にはそのままだったらその人は地獄に行くわけですし、「心配」に他ならないわけですよね。

 

 

でも、そうされると相手の気分がよくないことは明白だと思いませんか?たとえこちらが正論を話していたとしても。(それを「正論」だと相手にみとめてもらうときにそれを話している相手が「あきらかに自分を心配している」のは、気分がよくないと思うのです。)

 

 

そもそも伝道というものは「このひとを応援する」というマインドを持ちつづけて接することはむずかしい構造だと思います。

 

 

もちろん、聖書の言葉には力があるということを信じます。街頭で大胆に述べ伝えることができないのは私の弱さです。でも、それも役割分担だと思うのです。手の働きか、足の働き化か、という事です。

 

 

このお話が必要な方のもとに届きますように。

 

 

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