存在に耐えられない軽さだとは思わない

この世の旅路は果てしない。「主よみもとに近づかん」が好き。

私が葬儀の仕事をしながら考えていたこと~赤ちゃんのお葬式~

生まれてすぐ死んだ赤ん坊のお葬式があった。さすがに遺族のピリピリ感は、他の式とは段違いだった。

 

スタッフも、なんとなく気が引き締まっていた。

 

 

そんななか、私は接待をしながら心の中で思っていた。

 

 

「この子は、この世の苦を知らずに済んでよかったじゃないか…?」

 

 

これを口に出してしまうと、「人でなし」と言われてしまうかもしれない。

 

 

けれど私はずっと思っていた。私には赤ん坊の時の記憶などない。ということは、この赤ん坊本人も記憶のないまま生まれて死んでいったはずだ。

 

 

ならばよかったのではないか。

いっそよかったのではないか。

 

 

生きて、この子が自分の人生を苦にして自殺しなかった可能性も否定できないし、誰かを殺していたかもしれない。誰かに殺されるくらい恨まれるかもしれない。

 

 

存在しなければすべてが済む。

 

だって、私はそう思ってる。

 

 

だから、私は、私と同じくらいの年のその母親を、どこかうらやましい気持ちでみていた。

 

家族もいる。

旦那さんもいる。

こうやって子供の式ができるくらいお金もある。

全然大丈夫じゃないか。

 

『私の方が、大丈夫じゃないわ。』

 

そんなことを、思っていた。

 

 

次の日の朝礼で、あまり好きではない上司がこんなことを言っていた。

 

 

「『子ども』という事にとくにかわいそうとはおもわずに、みんな同じお客さまであり、故人さまはみな同じ命だと思って接するように」

 

この人は、よくわからないけれど、妙に納得できることを言う時がある。

 

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