【スピリチュアルとキリスト教】集団スプーン曲げで私だけ曲げられなかった話し
こんにちは、かすがです。
このブログは
「【波動】とか【引き寄せの法則】とか【宇宙の法則】とか、そういう言葉を使う人が身近にいて、なんか私には見えないモノが見えてるっぽいんだけど誘われてるセミナーに行ってみようかどうか悩んでる」
という方、もしくは
「クリスチャンなんだけど、聖書の言ってることってそもそもスピリチュアルだし、世の中でスピリチュアル系って言われてるものとどういう関係にあるのかまだよくわかんない」
という方に向けて書いてます。
私は寺生まれ寺育ち、古事記を愛する2次元ヲタク時代を経て20代すぎてクリスチャンになった人間です。
そんな私は、以前スピリチュアル系と呼べる人たちと関わっていたことがありました。
知って関わっていたわけではなくて、縁あって利用したコワーキングオフィスがはからずもそういう人たちの集まりだったことからでした。
今日は、そんな時期に参加した「スプーン曲げ」講座でおきたことをお話したいと思います。
■ コワーキングオフィスが育んだ縁
ある日、そのコワーキングオフィスで「自分でスプーン曲げをしてみよう」というセミナーが催されました。
講師を勤める人は、私の同級生でした。(小中の同級生。成人してからそのコワーキングスペースで再会した。田舎は狭いのでそういうこともある)
『気乗りせんけど付き合いもあるしなー』と思って私はそれに参加しました。その同灸生・・・そうですね、仮に
茂(仮名)氏としましょうか。
茂(仮名)氏が「スプーン曲げは超能力とかではない」
と豪語するため、逆に気になったのです。
そのときの宣伝文句は
「スプーン曲げは超能力者じゃない。思い込みのワクを外すことで、できないと思っていたこともできるようになる。それをここからはじめよう。」
みたいな感じでした。
これを聞いて「なるほど!」と思ったあなた!
私と同類項かもしれません。気を付けてください。
このとき偶然この話を私は父親にしたんですが、父親は冷静なもんで「そんなんしてもなんもならんやろ」と一蹴でした。
まぁここで茂(仮名)氏の肩を持っちゃう私もわたしなんですけどね。それなりに理由があるんですよ。
■ 私が茂(仮名)氏開催のスプーン曲げ講座にでた経緯
私はもともと人がいい(爆)し、当時コーチングの練習をめちゃくちゃしてて『とにかく目の前にいるひとをヒーローだと思って接する』というマインドを自分に叩き込んでいる時期だったこともあり、
かつ、やはり自分と共通項がある人間がいるというのはどこか嬉しく(そのコワーキングスペースは20代は少なかった)
茂氏(仮名)のことを非常に好ましく感じておりました。
(誤解のないように申し上げますが、このときすでに私は今の主人公と付き合っておりましたし、茂(仮名)氏も既婚ですので、男女のうんぬんの感情ではありません)
茂(仮名)氏は、昔から霊感のようなものが強かったらしく、そのせいもあり不登校になっていた時期があるというバックボーンの持ち主でした。
小学生のときはそんなに接点がないなかったので気づかなかった私。でも、彼は今は「自分に課せられた力に対する恐怖をなんやかんやで克服し、たくましい青年となり、今は通常の社会人として歩んでいる」というのです。
なかなかいい話しではありませんか。そして、茂氏がそれを克服した理由のひとつには「自分と同じような力の持ち主たちの存在」があったと言います。
成人に近づき色んな情報を得られるようになってから、自分と同じような力を持つ人たちの話しなどを聞くことによって、そういう自分にも希望が持てるようになった、みたいなとこと言ってたような気がします。
そのオフィスにコバシャールさんを呼んだとき、かなり大喜びしていらっしゃいました。(コバシャールさんについては詳しく説明しないです・・・。フェアじゃないと思うんで一応リンクは貼りますが・・・)
私はこのときすでにクリスチャンでしたので「幽霊の存在」は信じてなかったわけなんですが、(このときはまだ茂氏がどういった思想を持ってるかよくわかってなかった)
彼が前向きに生きようとしていることに水をさすのもやだなと思い、そのへんは笑いながらごまかしてました。ですから、たかだか数時間のセミナーに付き合うのもまぁいいかと思い、
(うわぁ、今考えるとマジでお人好し。いや、でもこれでもアム●ェイとかの勧誘は受けるけどギリギリで断れてるんですよ・・・)
出てみたのです。
■ いざスプーン曲げに
参加者は、5〜8名くらいだったと思います。参加する人はみな霊感やら超能力と呼ばれそうなものを持って『ない』と自己申告する人たちです。
そして。ものすごくおもしろい結果になりました。
なんと。
私だけ曲がらなかったんです。
私だけ。
最終的には茂氏(仮名)の手助けがあって「やったー曲がったー!」みたいなテイになってたんですが、私は本人なので知ってます。
あれは私の力ではないです。
で、そのときはあんまり深く考えなかったんですけど、あとからふと考えたんですね。
あれってやっぱりワシがクリスチャンだったからではと。
まぁ、ようするに茂氏が影響をうけてるのはニューエイジ的な思想なわけで、ごくごくカンタン言うと、おのれの悟りや能力開花によって自らのなかに神を見出す思想なわけで…。
私はこのとき洗礼を受けたばかりのクリスチャン一年生でしたが、
『これが行き着く先は自分の神格化に他ならないな』
程度のことは感じておりまして、そういう気持ちが私にスプーンを曲げさせなかったんではと思っているわけなんです。
ホントに、私以外全員曲がってたんです。私の手の中にあるスプーンだけカッチカチのまんまで、
『うわぁ、どうにかなる気がしねぇ!』
と感じたときのことを覚えてます。今思えば、完全に神さまに守られていたのではないか思います。
■ 私の反省とこれからどうするか
相手をヒーローと思って接する、という姿勢は、『隣人愛を形にしたらこんな感じではないのかな』と思ってやったことだったので、それ自体は悪くなかったのではないかと思います。
現にそういう姿勢があったから、茂氏(仮名)の奥さんと仲良くしてもらえて、彼女にはに神さまの話しを伝えることができました。
(あれ!?いま考えるとそれってけっこうすごい恵みだったのでは?奥さんのほうとは、茂氏(仮名)を通して紹介されただけで、同級生でもなければ知り合いでもなかったかたなんですよ。)
でも、『べつにやらなくてもよかったかな』と思うのは、時間とお金がとリソースを割いてそのセミナーに参加したことです。
せめてこの体験を活かしたくて、こうやって複数の人にむけてアウトプットしてますが、それでトントンかちょっと損してる。。。?とすら思います。
あと、茂氏(仮名)はそれを仕事にしてるわけではなくて、単に休日の趣味の一環みたいなかんじでしかなかったので、それもよかったと思います。
それを仕事にしてる人だったら、バックに高額のセミナーとかマインドブロック解除とかヒーリングセッションとかそういうの構えて絡めとってくる方向にグイグイくる可能性が高いので。
それもあってニューエイジ的思想の人たちのスソ野にいる人たちがどうい感じなのかがちょーっっとだけ見れたので、せめてこれを読んだ人たちの役に立てば幸かなぁと思う次第であります。
ニューエイジ的思想を持つ人たちっていうのは、当の本人たちが『自分たちの思想は宗教ではないから、宗教ともケンカせずにいられる』と思ってナチュラルに近づいてくるんで、逆にびっくりしちゃうんですよね。
こっちが警戒してたら『あなたたちは宗教が本来どういうものであるかをわかってない』くらいに言ってきそうなくらい「寛容アッピール」もしてくる人もいらっしゃるので、とにかく曖昧にせず「こっちがNOと言うしかない」と思います。
スピリチュアルとキリスト教に関しては、まだちょっと書きたいことがあるので、追って書いていきたいと思ってます。
私よりもっと濃い体験をしてクリスチャンになられた方はたくさんいらっしゃると思います。ぜひそのときのご自身の考えや、それが聖書と出会ってどう変わっていったのかを教えていただけたら嬉しいです。興味しんしん。
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