生きてるうちはずっと旬だと裏付けて。椎名林檎の盛者必衰感と「死」
何度観たかわからないくらい繰り返してこのPVを観た。パフュームの「スパイス」という曲も、同じ理由で好きだ。MV中にでてくるアイテムにマットな加工をしてるのが好きなんだと思う。
でも、繰り返して観ているのはマットな加工のせいだけじゃない。この、「旬」という曲に描かれている女性像が、とても美しく思えたからだ。
誰もが私を化石にしても 貴方に活かしてもらいたい
これほどまでに大人カワイイ表現を他に知らない。大人カワイイとはこういうことだと、今でも私は強く信じている。
これ以上埃で塗れない様に
貴方とお互いの生命(いのち)が まだ
繋がっていることを
私がこれをはじめて聴いたのは20代前半。他人から「化石にされる」ということは到底されることのない年齢だ。
これを書いている今も20代後半。自分の暮らしている生活圏内では、まだ、化石扱いされることはない。
だから、私がこの歌の深みを本当に知るのは、もう少し先になるんだと思う。
確かめて いつか別れを識る恐れから
逃がして いまは叱って笑って何時も通り
この曲には「健全な依存」という印象を持っている。
人間は一人では生きていけない。
他者から愛されているとか、認められているということを感じられなければ、それは幸せとは言えない。
でも、女の評価は往々にして「見た目」や「年齢」で測られることがある。そんなくだらないことで人を推し量るな、と倫理観の強い人ならそう考えるのかもしれないが、実際の世の中では、そんな風潮がまだまだ根強い気がする。
そんななかで、「ただ一人の貴方」に認められてさえいれば、私は化石にはならないのよ、と言っているようなこの歌の歌詞が、「強くてかわいい大人の女の概念」に思える。
『逃がして』というのがまた大人カワイイ。消してほしいのでもなく、消したり目を逸らしたりしたいわけではなく
「『今は』逃がして」と説いているところが、「大人の女のかわいらしさ」だと思う。
誰かが貴方を褒めそやしても
わたしは姿勢を崩さない
それ以上噂で汚れない様に貴方とお互いの意志(こころ)を
ただ
敬っていることを
確かめて
いつか衰えて行く恐れすら
融かしてそとが白んで変って浮沈(うつ)るまに
生きているうちはずっと旬だと
そう裏付けて
充たして
いまを感じて覚えて何時もより
生きて、生きて、活きていよう
『生きてるうちは、ずっと旬だと裏付けて。』
■
私は、お葬式の仕事をしていた。
ある先輩が、こんなことを言っていた。
「人は、金がなかったらまともな葬儀も挙げてもらえんのぞ。世の中は金よ。かすがちゃんわかっとる?」
「人は死んだら何にもならんのぞ。まともな葬式挙げれん人間になったらあかんのよ」
と。苦笑いするしかない私に向かって、別の先輩がこんな言葉で返した。
「最後は燃えてなくなるだけだと、彼女はわかっていますよ」
と。私はこっちにも苦笑いした。私にはどっちもNOだ。
お金はたしかに必要だし、選択肢を広げてくれる。だけど、それだけでは生きていけないことも痛切に感じていた。
また、「最後は燃えなくなるだけだと」も私は思っていなかった。今でも思っていない。肉体は滅びるてそれで終わるのならば、葬儀の仕事は成立していないはずだ。
これほどまでに多くの人が「無宗教である」と言いながらなにかしらの宗教的儀式を死に関わらせるのに、肉体が燃えてなくなってそれで終わりならばこんな仕事は要らないはずだ。
そしてなにより。
その人の人生を、死んでから数時間関わっただけの人間が、測れるとは思わない。会葬が何人だったとか、親族が何人だったとか、そういうことで人間の「なにか」を測れるとは思わない。
たとえ伴侶であったとしても、その人が死の間際になにを想い、感じていたかなどは、他人には知り得ないことだ。その領域に立ち入れるのは、「神」しかいないはずだ。
「生きてるうちは、ずっと旬だと裏付けて」
【ただ一人の貴方】との関係があれば、人は「化石」にはならないのだと、少なくとも私はそう信じたいのだと、私は今も思っている。
若い者よ、あなたの若い時に楽しめ。あなたの若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の道に歩み、あなたの目の見るところに歩め。ただし、そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ。
あなたの心から悩みを去り、あなたのからだから痛みを除け。若い時と盛んな時はともに空だからである。
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、(伝道の書11章9節~12章1節)
「旬」はアマゾンの新サービスmusicunlimitedにもあります。月980円で音楽が聴き放題のサービスです。その他林檎さんの曲も豊富にあります。