存在に耐えられない軽さだとは思わない

発信する意識低い系。依存脱出記は引っ越しました。雑感と絵画技法・クリスチャン1年生におススメ本を紹介。基本的スタンスは「これからどうするか」

【おとむらい牧師隊】人間の価値がお葬式の規模で測れるものではないのだと言いたかったあの日の私へ

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「人は死んだら何にもならない。満足に葬式を挙げられない人間になったらあかん」ーー


そんなことを言われたら、あなたは何を思いますか?


「そうだ」と思うでしょうか。
「違う」と思うでしょうか。
あるいは「考えたことがない」「どちらでもいい」と思われるでしょうか。



私は、「違う」と思う派です。


なぜなら私はキリスト教徒であり、キリスト教徒は「唯一の神」を自分たちの創造主だと考え、創造主に造られたもの…とりわけ人間は「はなはだよい」とされたと認識し、創造主は人間を優劣なく愛していると信じているからです。「創り主が愛している」と言っているものを、創られた小さき我らが貶めてはならないとーーそう信じているからです。



こんにちは、かすがです。四国の寺の末娘として生まれてなんやかんやでクリスチャンになったアラサーです。既婚子ども予定なし。


「人は死んだら何にもならない。満足に葬式を挙げられない人間になったらあかん」という言葉は、私が以前勤めていた葬儀社のある先輩スタッフの言葉でした。



↓ 「私がお葬式の仕事をしながら考えていたこと」シリーズはこちらから読めます。
kasuga-1221.hatenablog.com


葬儀会社の人間からすれば当然の発言だったかもしれません。お客様から仕事をいただきその対価をもってして会社が存続しているわけですし、現代日本は資本主義原理で動くことが自然だと考える方も多いですから。


でも、私は心の中で「それだけは違う」と思っていました。なぜなら私はそのとき「人間は神さまに似せて創られた『はなはだよい存在』であり、だれもが神さまから愛されている」ことを信じていたからです。


(私は大学在学中にキリスト教会通いはじめて、いわゆる『求道中』というやつでした。この時はまだキリスト教の核心である『イエスが救い主である』であるとは信じきれないでいる状態でしたが、「神さまは人間を愛している」ということは信じたいと願う者でありました)

でも、自分が仕事をしているのが[会社]である以上、売り上げの低い少人数の式や直葬のに近い式のお世話ばかりするのは必ずしも良いことだとは思えませんでしたし 先輩の言うことにも一理はあるかなと思いました。


ただ、死者の生涯について何も知らないーー死後少しかかわっただけの人間がーー死者の人生の価値を図るような発言をすることはよくないことだと思っていました。



それと同時に、明確に反論できない自分や、反論したとしても自分に状況は良くならないのだという現状も思わされ、なんとも言えない悔しさに地団駄を踏みたくなる気持ちにかられたことを今でも思い出します。


時を経て、私は今「おとむらい牧師隊」という活動を知りました。

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■「困窮で「直葬」選ぶ遺族支援 無料で牧師を派遣 福岡のNPO「おとむらい牧師隊」(西日本新聞
http:// https://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/national/article/443862/

NPO法人 おとむらい牧師隊公式HP
NPO法人 おとむらい牧師隊

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【おとむらい牧師隊】とは、お金がなくて宗教者を呼ぶことができない故人さまへの弔いの場(いわゆる直葬、福祉葬、民生葬、生活保護葬と呼ばれているお葬式)に牧師を派遣するNPO活動です。


(あまり知られていませんが、生活困窮者の葬儀は補助金をもらって行うことはできるのですが、それはあくまで最低限の棺代や火葬代の補助であり、宗教者へのお布施や戒名料などはそこにふくまれません。


現在の日本ではお寺さんが公に無料で呼ばれてくれるところがありませんので、「生活保護葬だと宗教的なことができない」のが一般的です。)

全ての人の最期に、心のこもった おとむらいを。
宗教者への謝儀を心配することはもうありません。
直葬を行う場合は、ボランティア牧師をお招きください。
心を込めて、あなた自身やご家族の見送りをお手伝いします。(おとむらい牧師隊公式HPより引用)


孤独でも、お金がなくても、人間の魂の価値はだれにも測れないのだと、少なくともキリスト者はそういうところに立ちたいのだとーーそんな気持ちを代弁してくれる活動だと感じました。



色んなご意見があることと思います。
自分の教会の牧師が、不定期に全く知らない故人の葬儀に無償で駆り出されることに懸念を感じる方もいらっしゃると思います。


そもそも葬儀代もままならないような経済状況や孤独死を許す社会の在り方を根本から解決すべきだというご意見などもあるかもしれません。


ただ、すでにメディアで取り上げられていることやさまざまな反響をご覧いただければ、この活動が今の日本に必要な活動であることを感じていただけるのではないかと思います。



葬儀にかかわる仕事をしている人間もーー時に宗教者でさえも、人の命の値打ちを測ったり見下げたりしやすい世の中です。たとえ命の価値を値踏みするようことをしていなかったとしても、今の日本のお寺や神社の現状考えるとこういったボランティアにお坊さんや神主さんが公に手を出すことはしづらい現実もわかります。



(ではなぜキリスト教はそれができるのか、というと少し話が長くなりますのでここでは説明いたしません。ごくごくカンタンにあえて言わせていただくと、「日本仏教」の僧侶が信徒とのかかわりを持つのがお葬式の場がメインになりつつある現状にくらべて、「キリスト教」と牧師・信徒は比較的頻繁に集うことが多く、またキリスト教が福祉に熱心になりやすい側面を持つから、という感じでしょうか)


kasuga-1221.hatenablog.com



「今」困っている遺族にのもとにかけつけ、故人の魂の安寧を祈るーー今の日本で必要なお働きであると感じています。


よろしければHPをご覧くださり、活動を知ってくださればと思います。協力してくれる牧師も随時募っています。現在は福岡・広島エリアでのネットワークですが、発起人は他県にもネットワークを作りたいと考えていらっしゃるようです。

「わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどのことではないか。また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。」(イザヤ書58章6節-8節)

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NPO法人とむらい牧師隊
NPO法人 おとむらい牧師隊
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