存在に耐えられない軽さだとは思わない

発信する意識低い系。性依存(恋愛依存)脱出記。雑感と絵画技法・クリスチャン1年生におススメ本を紹介。基本的スタンスは「これからどうするか」

きよめ派―日本イエス・キリスト教団―のリアル

 こんにちは、かすがです。

 

私、アラサーのクリスチャンです。実家は四国の田舎の寺です。家族の中ではたった一人のクリスチャンです。既婚。

 

私は、大学時代にはじめて教会に行き、そこからイロイロあってクリスチャンになりました。もちょっと詳しく知りたい方は自己紹介をどうぞ。

 

kasuga-1221.hatenablog.com

 

で、今もその時通い始めた教会と同じ教団内の教会に通ってます。日本イエス・キリスト教団。

 

 

まだ洗礼を受けて日も浅く(2016のクリスマスで3年たつ)、奉仕などにも深くかかわってない一信徒にすぎませんが、「外側」の感覚が残ってるうちに、「日本イエス・キリスト教団」というものに対する私の見聞きしているものを記しておく必要がある気がする・・・と思いました。

 

 

たぶん、私自身の考え方というのもこの先変わってくるし、教団そのものの在り方ももしかしたら変化していくかもしれませんが、それでも「今」を残しておく必要があるんではないかなと思ってます。

 

 

タイトルは、キリスト教のリアルという本から拝借しました。こちらの本も、「クリスチャンじゃないけど教会に興味がある人に読んでもらう」ことを意識した、なかなか興味深い本です。

 

【書評】松谷信司編著『キリスト教のリアル』 : 書籍 : クリスチャントゥデイ

松谷信司『キリスト教のリアル』を読んだ(1) | 一キリスト者からのメッセージ

標準からほど遠い四人だからこその「キリスト教のリアル」 | 命と性の日記〜日々是命、日々是性

書評:キリスト教のリアルについて解説します。 | ガチレズクリスチャンだけどなにか?

レビューはたくさんあるので気になる方はどうぞ。

 

 

(※これからお話しすることはあくまで主観です。明確な反論がある方はご自分のメディアにてお願いいたします)

 

■ ネットにある「福音派」「きよめ派」のイメージと、自分の環境があまりに違う

 

私も、インターネットネイティブ世代ではないにしろ、(ギリギリ平成生まれ程度だから)引っ込み思案のため、かならず「ネットで検索」して探りをいれるところからはじめます。

 

こういう変遷をへて、↓

 

kasuga-1221.hatenablog.com

 

今は自分の所属している教団の考え方やルーツをもう少し知りたいと思っているのですが、そのためにまず「ざっくりと知ろう」と思ってネットで調べるところからはじめました。

 

すると、でるわでるわ、不穏な記事・・・;;

 

blogs.yahoo.co.jp

 

ファリサイ的な「律法主義」、裁く傾向性、エリート意識などによって
「傷つけられる体験をした信徒」がたくさんいたそうです。

 

 

arinopapa.arinomamachurch.com

 

 きよめ派は、自我を十字架に付けるなら喜びに溢れた信仰生活が待っていると教えます。

 

 

2CHに関しては「戦後設立された福音派はほぼカルト」なる言葉も。

 

 

『おいおい、アタシの通っとる教会、完全に戦後の福音派やんけ・・・。でも人から直接カトリックdisを聞いたこともないし、きよめの強調を聞いたこともない・・・。そりゃ、色んな人が集まってるから、なんかこの人ヤダな・・・とか思うことはあるけど、他人に対する信仰どうこうっていうのにはすげぇ慎重な人が多い気がする・・・。もしかしてウチきよめ派じゃないの?

 

 

・・・いや、一応聖公会のバックストンって人が伝道した流れだ。そうか、聖公会ってカトリックと近いのか・・・だからカトリックdisは聞かないんだな・・・。』

 

「やべぇところに関わっているのでは・・・」という疑念を持ちつつ、求道5年、洗礼より3年。リアルの現場で起きていることは、少し違うのではないか、という感覚を覚え始めました。

 

■ 教団長のスタンス

 

たとえば、私が今主人と一緒に通っている荻窪栄光教会は、そこそこ人数が多い為か牧師が2人いるのですが、1人は教団長という立場だそうです。

 

eiko-church.com

 

 

プロテスタントキリスト教界全体に言えることかな)は牧師の権威化に非常に敏感なので、私自身も「この先生は○○だから偉い、すごい」みたいな思考にはなれないのですが、

 

 

とはいえ、教団長ってことは教団の牧師の代表ってことだから、この牧師のスタンスである程度「日本イエス・キリスト教団」というものの方向性っていうのが見えてくるのでは、と思いました。

 

つまり、この中島牧師が「クリスチャンがこの世界においてどうあるべきと考えているのか」というのはどうしても気になるのです。

 

(こういうのって、礼拝中の説教だと解像度が低くていまいちよくわからないこともあると思うのだ)

 

結婚してこちらの教会にうつってからしばらくは、『教団長ってくらいだからさぞかし厳格な人なのでは・・・』という恐怖感があり、けっこう警戒しながら意図的に間合いを開けて過ごす毎週日曜を過ごしていました。

 

でも、祈祷会に行きはじめて、中島牧師にいろいろ直接話を聞いているうちに、中島牧師のスタンスを知ることとなりました。

 

kasuga-1221.hatenablog.com

 ↑ で書かれている、どの内容が中島牧師の解答なのかはなんとなくわかっていただけると思います。

 

中島牧師はどちらかというと「人に対して愛を持って接することの大事さ」を強調する考え方だと思います。

 

これは、ネットで言われている「自我の磔殺」や「きよめ」の感じと真逆と言ってもいいくらいの考え方だと思います。

 

中島牧師はこんなことも言っていました。

 

「うちの教団は『きよめ派』っていわれてるけどね。清められるって、自分の心の奥底でしかわからないことだよね。


で、きよめられるってのは、 『イエス様のようになる』ってことでしょう。でもね、心の奥がイエス様のようになるってのは実際無理だし、他人にはわからないことでしょう。

だから他人に向かって『きよめ、きよめ』って強調しすぎると良くないよね。ハゲ頭の人が毛生え薬売ってるようにみえるよね」

 

と。これを聞いたとき、自分はかなり律法主義的な感覚が強かったのか、「え、教会の牧師がこんなことを言っていいの?」くらいに思って肩すかしを食らいました。

 

でも、それと同時に、「全ての罪が赦される、イエスの十字架の贖い」を強く感じさせられる発言でした。

 

そういえば、中島牧師は祈祷会に使うテキストなどに「信仰をかたくなに守ることの強調」があれば、必ず「かといってクリスチャン以外とまったくの没交渉になるのは、よくない」という旨のフォローを入れる気がする、とここで気づきました。

 

 

ただし、あくまでこれは中島牧師の考え方です。中島牧師自身も「今の若い人がどう考えてるかは、わからんのだけどね」と言っていました。

 

 

この「若い人」というのが「自分の後輩にあたる牧師」を指すのか、それとも「自分よりも年齢の若いクリスチャンを指すのか」は、会話の中で確かめることができませんでした。

 

私は前者の意味だと思っていますが、実際はわかっていません。

 

 

(ちなみに、 現在荻窪栄光教会の主体となっている牧師先生は、井上義実牧師です。

eiko-church.com

 

井上牧師にもいろいろ話は聞いてみたいのですが、今のところあんまりタイミングがあわなくて話す時間がありません。)

 

 

■ 主人は私が引くくらい教会選びに慎重だった

 

主人はクリスチャンホーム育ちですが、洗礼は私よりも一年遅いです。27年間逃げ続け、信仰への決意がかたまり、洗礼を受ける決意をしてから都内の教会を5件くらいめぐってリサーチしてました。お義母さまに教会選びの基準は何?とか聞いたりして・・・。(私はこのへんでかなりイライラしてた)

 

kasuga-1221.hatenablog.com

 

 

でも、結局、私と同じ教団の日本イエス・キリスト教会で洗礼を受けました。私は「色んな要素をかんがみて落ち着くところに落ち着いた」くらいに思ってたんですが、それも主人なりに理由があったようで。

 

一因は、洗礼前に訪れた荻窪栄光教会で、中島牧師に「汝ら我を選びしにあらず、我なんぢらを選べり。」(あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。ー新約聖書ヨハネによる福音書』15章16節)という聖書の言葉を伝えられた時、荻窪で洗礼を決意するに至ったというものだったみたいです。

 

 

■ 意識の低い私が通い続けることができている教会

 

こうやって牧師の話をしてると、「イエスを見ていない」「党派心だ」とかいう声がどこからでも飛んできそうな気がしますが、飛んできたとしてもこの記事は取り下げませぬ。(吐血)

 

私の信仰がどうであるかは私と神さまの問題であり、ここで書いていることで私の信仰の何かが測れるとは思っておりませんので。

 

 

私は、自分が意識も低いし、体力もないし、持病もあるし、全体的に「弱者」に分類される人間であると自負しています。

 

 

そんな私がいつも思っているのは、「優しさを維持するのはむずかしいし、死ぬほど忍耐が要る」ということです。

 

だから、高齢にもかかわらずこの「優しい」スタンスを(維持し続けてきたのか、いろいろあってそこに落ち着いたのかは知りませんが)持っている中島牧師は、すごい精神力だなと思わざるをえません。

 

 

罪赦された人たちの集まりであるはずの教会が、「敷居が高い」 と思わせてしまうのも、ひとえに人間が「優しさ」を維持する筋肉は衰えやすいから、ではないかと思ってます。

note.mu

 

意識が低い私でも、通い続けることができている教会。今の私が、自分の所属教会に抱いている感想です。

 

 

正直私は、このブログをリアルの教会の人に見つけられるのは嫌です。でも、それでも、ブログ内に自分の教団と、教会の名前を明言しました。

 

それは、「教会は行ってみたいけど、実際はどんなところかわからんし、ネットで調べても不穏な情報しか出てこんし・・・」みたいな感じで失われてる機会もある、と感じたからです。

 

あくまで、まだ信仰の2歳児。2歳児感じる、きよめ派(日本イエス・キリスト教団)のリアルな温度。

 

私はここで信仰生活を送っていきたいと思っています。そして、自分の群れが健全な信仰を保ち続けられるように、新たな人にも加わりつづけてほしいと願っています。

 

誰かの役にたちますように。では。

 

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