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自分の教団のルーツは?共同体感覚から考える私の気持ちの移り変わり

こんにちは。かすがです。

 

 

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私はクリスチャンです。

 

洗礼を受けて、3年がたとうとしているところです。

 

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2016年のはじめくらいから、私は「自分の通う教団のルーツ」というものがなんとなく気になりだしてきました。

 

 

以前は、「聖書はひとつ、信仰はひとつ」だと思っていましたから、「自分の通う教団のことなんて知らなくていい」と思っていました。

 

でも、最近はなんとなく変わってきたのです。

 

その変遷を話すことにも意義があるような気がして、この日記を綴ることを決めました。興味がある方にお読みいただけると幸いです。

 

■ 大学時代~就職~教会から離れるまで

 

洗礼を受ける前(教会に通いながら、信じるかどうか考えてる状態。クリスチャンからすると求道中と呼ばれる)は、「洗礼を受けなくてもクリスチャンであることは可能」と思っていました。

 

 

今もそう思っています。

 

 

人間の原罪、キリストの死、葬り、復活による罪の赦しを信じるならば、洗礼と言う儀式を経なくてもクリスチャンであることは可能だと。

 

 

このときは「自分の教団」というものよりも「キリスト教そのもの」、「信仰そのもの」にたいする意識が強かったです。

 

 

ですが、その考え方にも微妙な変化があります。

 

■ 教会再び行きはじめる~洗礼

 

 大学時代~就職~教会から離れるまでの私の時代は、「洗礼を受けなくても信じているならクリスチャン」だと、かなり強固に考えていました

 

しかし、そこからまた変化していることがあります。

 

教会にもどって、また礼拝に出始めて、聖書を読み始めたころから、

 

「受けなくてもクリスチャンであることは可能だけれど、受けない理由はないから受けれるなら受けたほうがいい。受けないことを主張して貫き通すとしたら、それは自分の考えを神格化していることに近いと思う」

 

 

という考えに変わりました。そのため、自分は洗礼を受けようと自然と感じていました。

 

(色んな都合や理由で、教会に通えない人もいらっしゃると思います。全員に当てはまるとは思っていません。あくまで「私のケースは」の話しであることをお断りしておきます。)

 

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■ 洗礼を受ける=所属教会が決まる、ということに対する抵抗感

 

しかし、やはり「洗礼を受ける」と、会議にも出席して多数決の一票になったり、月定献金の袋を渡されたりと(「無理のない範囲で、という注意付ではありますが」)、「ここの教会の一員になりました感」が急に強まるので、「洗礼を受けるのと、所属教会が決まる」ということはあくまで別物であるような気がしていました。

 

 

しかも、教会を代わるときは転会の届などの手続きもしなくてはいけないというではありませんか。

 

 

若いからなのか、性格なのかわかりませんが、「根無し草」的な生活を望んでいた私はこれをあんまりすんなりとは受け入れられませんでした。

 

(しかし、そこまでアナーキーな性格ではないので、特に抵抗することなく、洗礼~受けた教会を所属教会とする~ということは受け入れました)

 

■ 洗礼を受けてしばらくして気づいたこと

 

洗礼を受けてしばらくして、また変化がありました。教会は、宗教施設とはいえ、人間のコミュニティです。

 

信徒の奉仕(ボランティア)などがあるから回ってる面は否めません。

 

自分が洗礼を受けた喜びがおちつき、なんとなく「信仰の軸」みたいなものが固まりだしたとき、私は「自分のためだけ」に教会に行く、ということがなんとなく物足りなく感じ始めました。(正直な気持ちを綴ります)

 

 

ただ、私の場合は、自分の気力と体力に波があることを承知していたので、「教会学校の先生をやってみないか」という打診があったのを断りました。

 

よく一緒に話してくれた信仰の先輩の姉妹が「奉仕は喜んでできないと奉仕じゃないから」となにかにつけて言ってくれたので、自分の限界を考えた末の選択でした。

 

 

ですが、たま~にある「子どもたちと一緒にクッキーを作る」や「夏休みのバイブルキャンプに参加」、「食事の片づけの手伝い」などは、できる範囲でするようになりました。

 

子どもたちの聖書の学びを聞くことは自分の学びにもなると思いましたし、「いつかそのうちやることになるのであれば、やり方を見て学んでおくのはいいことだろうな」という考えが、それとなく頭の片隅にあったからです。

 

「自分も役に立ちたい」という気持ちがちょっとずつ芽生え始めた証拠だと思います。

 

 

■ コミュニティに参加することは幸せにつながることもある

 

ここから新たに「さらなる学び」にステップアップするか、「奉仕」などをするかは、置かれている状況や本人の意思によって変化するかと思いますが、いずれにせよ、「自分以外の人間関係」を教会生活に加えていくことでより自然と教会生活が維持できるだろうな、という考えは、なんとなくあります。

 

 

人間は社会的生き物なので、「共同体」としての意識がある方が幸福感が高い、ということは否めないと思うのです。

 

 

(最近流行りのアドラー心理学なんかは、人間の幸福を「共同体感覚」という言葉で定義しようとしていますね。アドラー的には「自分が好き」「自分は役に立つ」「他人は信頼できる」という感覚が満たされると、人間は幸せ感が高いんだそうです。私はこれ、けっこう同意してます)

 

 

ですから、「自分の幸せ」のために、教会というコミュニティに参加することは別段おかしくない、自然な流れだと思います。

 

(あくまで自分の体力の範囲内でね・・・。つっても、やりがいが気力とか体力を上回ることがありますから)

 

教会の中で役割を持ってから教会がより楽しくなった、という兄弟も、実際いますし。

 

 

 

■ となると、気になりだしてくる「自分の通う教会のルーツ」

・・・という風に、「仲間意識」みたいなのが強まってくると、なんとなく今度は「自分の通う教会」ひいては「自分の所属する教団」のルーツが気になりだしてきます。

 

これは、ふつうの心境の変化だと思います。

 

私の場合は、SNSで他教派のクリスチャンの方との交流が増えたことも理由のひとつにあると思います。

 

そこでは「教会での人間関係や、教団の聖書理解の相違などで教会を変わった」という話もチラホラ聞きました。そういう話しを聞くと、なんとなく「他の教団のことも、もう少し知りたいし、自分のトコのことももう少し知りたいな」という気持ちが芽生えてきませんか?たぶん自然なことだと思いますが・・・。

 

  

あと、もう一つ理由があります。このあたりですでに私は「機を見て人に聖書の話をする」という事を実践していたのですが、それの行き着く先は「教会の紹介」です。住んでいる地域が自分の教会とあまりに遠い人も少なくありませんでしたから、自分の教団以外のことも知らなくては、と思い始めたのです。 

 

 

■ 教派の分散=リスクの分散

 

先日読んだ「聖書の教える金持ち父さん貧乏父さん50」で、面白い箇所がありました。

 

kasuga-1221.hatenablog.com

 

著者の木下和好兄は、「教派の分散は悪いことだけではない。ビジネスでも、株は分散しておいた方がリスクヘッジになる。教派の分散もそういう側面がある」といったことを書かれていたのです。

 

なるほど、そういう考え方もあるんだ、と思いました。

 

 

私が属している教会では、他教派disをしている人がいませんでした。(徳島でも東京でも)

 

でも、たまに旅先で好奇心から聖霊派(ペンテコステ・カリスマ派)の教会に出てみたりして、

 

 

「今までわかってなかったことがわかったな。こういうのもいいな」

 

と思ったり、

 

「でも、こういうカタチの礼拝に毎週出るのはやだな。体力的に」

 

と思ったり。人に勧める選択肢もひろがるなと思いました。

 

 

たぶんカトリックの礼拝だったら、私は礼拝に通うことすらできていないと思いますし、もしかしたら私みたいな人も他にいるかもしれません。(装厳なイメージあるから・・・。私、そういうの本当にダメなんです・・。ほんとにだめなの・・・)

 

■ 自分の教団のルーツを知るのに適切な時はあるか?

これに関しては。「ないと思う」としか言えません。

 

私の場合は、「自然とそう思った」だけなので、やっぱり「人それぞれ違うんだろな」と思います。別に一生知らないままクリスチャン生活を終える人がいても、なんらおかしいこととは思いません。

 

ただ、私が気を付けたいなと思うのは、「目の前で話している人が、そういう話しに興味があるかないかを確認しながら会話すること」ですかね。

 

興味がある方に、「そんなこと知らなくていいのよ、神さまを見上げていくことが大事だから」とシャッターを閉めるのも違うかなぁと思いますし、興味がない方にそういう話しばっかりするのも違うかなと。

 

この姿勢は忘れたくないと思ってます。

 

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