【脱性依存】私のココロが修羅と化していた時、仕事ではどんな状態だったのか
こんにちは、かすがです。
私、人生の暗黒期にはこういう状態になっていたときがありました。
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私はこのとき23歳で、会社員でした。ですから、人生の多くの時間を「仕事」にも費やしていました。
その「仕事」において、私がどういう状態だったのか、ということをお話します。
■ いっぱいいっぱいだったのに自ら仕事増やしていた
もともとそんなに優秀じゃなかったので、会社ではあんまり「仕事できる」感じではありませんでした。でも、1年目が終わるころには式(お葬式の接待の仕事してました)のリーダーなどを任されたり、後輩の指導役にもなったりして、それなりに「なんとかやってる」という感じでした。
でも、本当は一杯一杯で、毎日が精いっぱいでした。
ですから、本当は「できるだけ余計な仕事はしたくない」と思ってました。
進むとしても、『与えられた役割をできるようになってから、
次のステップに進みたい』と思ってました。
そう。思ってたハズだったのに。
なぜか私はそのとき「司会の練習」を始めてしまいました。
司会の仕事っていうのは、私の会社では「葬祭士」的役割の人の仕事で、私のような「セレモニーアテンダント(献茶)」とはあくまで違う畑の仕事でした。
でも、会社も人員削減したいせいか、なんとなく一人一人に「今まで以上の役割もやってよ~」みたいな空気がありました。それでも、他にも色々と選択肢はありましたから、緊張感も高い司会の仕事というのは「最後の選択」だったのではないかなと思います。
なのに、いきなりその「最後の選択」から手を出した私。
完っっ全に迷子です。
自分のことが全然わかってない。
途中、アトピーの悪化なども経て、接客をしない仕事に配属されたこともありました。今考えると、ものすごく自分に適している部署だったなと思うのですが、おそらく承認欲求に飢えていたのでしょう、「左遷された」くらいに思ってましたからね。
完全なるアホ。
完全なる迷子。
そもそもの私の性格や体力からすると、「給料減ってもいいから休む」くらの選択をすればよかったのです。
なのに、自分から仕事を増やすようなマネをしていたのです。
アホ!!!
ほんまアホ!!!!
で、練習の風景を上司に見られていた私は、後で「司会やりたいんだったら機会つくってやらんとな・・・」みたいに言われて、「ありがとうございます・・・!」みたいな顔してましたけど
内心「あれ、アタシって司会やりたかったけ????あれ???なんか墓穴掘ってない??????????????????」
と思ってましたからね。マジすみません。
全く自分のことがわかってない。自分がどうしたくて何が大事でどうなったら良いのか、自分がわかってないのです。
でも、ある意味仕方ないんです(泣) 心と体が分離している時というのは、自分の意に反することをカンタンにやってしまうということが、生活全般において表れてしまうということだと思います。
■ 以下の状態に当てはまったらおそらくヤバい
このときの私の毎日の精神状態をピックアップするとしたら、
・毎日涙が出る
・でも感動はしない。(一番印象的だったのが、映画「レ・ミゼラブル」を見に行ったときのことです。母親は泣いてるし、レビューとか見ても色んな人が泣いてるのに、なぜか私はなんっっっにも感じなくてびっくりしました。悲しくもないし、うれしくもないし、本当に「無」でした)
・欲しいモノとかないけどショッピングセンターを徘徊
・食事の買い物などができない(スーパーに行って、『ほしいモノの棚』に行くことができない。複数の材料を揃えることができない。深くものごとを考えられない)
・物忘れはげしい(靴下とか失くしまくり)
・本が読めない(文字が認識できない)
・キレやすくなる(感情が抑えきれない)
・依存
みたいな状態でした。もちろん、23歳になるまでこういうことはありませんでした。いかがでしょうか、これを読んでいる方、ご自身にあてはまるところはありますか?
もう、このレベルでしたら病院に行くことが早急に必要になるかと思います。ですがそれと同時に、こちらで私が書いていることも読んでいただけたらなと思います。
今、私は休養も経て、こういう状態から抜け出せています。もう少し長くこの状態を維持していたらどうなっていただろう・・・と考えると背筋が凍ります。
自分の意に反することをしてしまう、ということは、「それ自体が自分を壊す」というよりも、「その状態で起こす二次災害的なこと」がヤバいのではないかと思っています。
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