意識高い系が揶揄されだして久しいですね。~インドは行く『べき』なのか~
こんにちは、かすがです。
すごく久々に戦国鍋テレビの信長と蘭丸をみてる。
— かすが (@2Kasuga) 2016年3月26日
村井良大くん熱がぶり返してきた
私、「人間やめたい」が通常マインドの意識低い系人間です。しかし、そんな私にも20代後半になって少しだけ「人生の目的」めいたものが見え始めてきました。
表現の仕方はいろいろあるのですが、その一つが「意識低くても幸せに生きていける」ということを自分の生きざまを通して証明する、ということかなあと思っていろいろ実験しています。
「発信する意識低い系」としての地位を確立していきたいなと思っています。
さて、そんな意識低い私には、苦手な存在がいます。そのひとつが、いわゆる《意識高い系》という人々。この言葉が揶揄として使われるようになって久しいですね。
私は、意識高いこと自体はイイと思っています。でも、それをあまりにもわかりやすい自己アピールに使う人間とはちょっと距離を置きたいなぁ~…というのは正直思うところ。
社会人になってあんまり自己アピール合戦を目の当たりにする機会もなくなっちたのですが、先日こんな場面に遭遇してしまいました。
■ 学生と社会人の交流会
以前、私は学生さんと社会人が「ヨコの関係」になって話をする対話の会に参加したことがあります。
学校の先生や一般の大人の方など数名を加えた事前打ち合わせが行われるなか、先生方が懸念されていたのが
「まぁ、そもそもここにやってくる学生は、意識が高いからこんなところで交流もたせなくてもいい気はするよね」
ということ。
先生方としても、もちろん私としても、「本当に手を伸ばしたいのは、そういう社会の規格からはずれた存在」にもかかわらず、そういうパッケージにしてしまうと集まってくるのは意識の高い子たちです。
私はうっすら『「自分に自信がない」昔の私みたいな子が来て不快になる会だったらイヤだな…。』と思っていました。
そして、当日。私の悪い想像が具現化した現実が繰り広げられていたのです…。
(※この交流会そのものの構造は決してそんなことありませんのでご安心を。いいシステムです)
■ 意識高そうなJDグループの会話
私は、交流会のあとで大学生の女の子ら数人がかたまっているのを発見し、興味本位でそのグループに近寄って行きました。
女子大生5人の輪に加わる26の私。
女子大生A「え、今どこで《活動》してるの?」
女子大生B「えっと、今の活動は○○で、こういことやってて~」
わし『《活動》ってなんや。活動って。なんでも活動やろ。何のことさしとんや。共通用語なんか…?』
女子大生B「あ、チラシあるよ~見る?あ、よかったらこれどうぞ~~」
(女子大生、チラシを配る。私にも配る)
わし『なっ…なんだこのエネルギーに満ち溢れたまぶしいチラシは…!っていうかそれ以前にこの子ら、私という部外者がここの話の輪にはいっとること何も気にならんのか…?』
女子大生B「これ~、カナダに行ったときの活動が元になってて…」
女子大生A「あ、カナダ行ったの?へぇ~ふ~ん…」
女子大生B「うん。すごかったよ~。勉強になったよ~、○○が○○でね…」
わし『で、でた!海外行ったアッピル…!いや、海外行ったアッピルそのものはええねん。問題は女子大生Aが明らかにテンション下がって『ちっ…面白くねぇな』感だしてきたことや…!続けるんか!?この話題続けるんか…!?』
女子大生A「へぇ~、他にはどこか行った?」
わし『なっ…!? 自分が経験ないハナシから無理やり話をそらしたぞ…!?』
女子大生B「あ、うんインドとか…」
女子大生A「あ~!うんうんインドいいよね~!インドは絶対行くべき~~!」
わし『なん…だと…!?【インド】と言うキーワードが出てきた瞬間のこの水を得た魚感…!!ほんでなんやて!?インドは行く【べき】!?《べき》とかあんの!?』。
もう無理。窒息しそう。
私は、心の目を閉じてその場をやりすごしました。ああ、なんだか懐かしいにおいがする…。
誤解しないで頂きたいのですが、私はこの子たちをからかっているわけではありません。それぞれが与えられた役割を全うしてほしいと思っています。
でも、「自分に与えられた役割を全うする」ことと「自分をアピールする」ことってイコールじゃないよな、と思うんです。
いくらなんでも、人の話し聞かなすぎじゃね?
あ―・・・ちなみにですね、私の恋人も学生時代にはインドやらタイやらにも行ったしヨーロッパを野宿しながら旅行したような、「意識高い」人間です。
でも彼は、初対面の私に向かっていきなりそんな話を自慢げに語ってこなかったし、私が聞いたとしても一方的にまくし立てて話すとかそんなことはせずに、順番に私の話しも聞いてくれるという【知性】がありました。
それまで私は「行動力のある人間は自分の実績に自信があるから自慢話ばっかりする」と思い込んでいたので、行動力を持ちながらも相手の話を聞くというスキルを持っている彼に驚いたものです。
彼のそんなスタンスを見て、私は思いました。「意識の高さ」というのは「相手を思いやれる」という行動が伴ってこそ輝くものなんだと。
…ということで、やっぱり、「私が手を伸ばしたいのはこの子たちではないかな」という思いを確信してその日は帰ったのでした。
これを読んでいる意識の高いみなさん。ぜひ自分の「意識高さ」を活かせるように、【相手がのぞきこみたくなる深み】と【知性】を身に着けていただきたいなぁと思います。