存在に耐えられない軽さだとは思わない

この世の旅路は果てしない。「主よみもとに近づかん」が好き。

ハロウィンに警鐘を鳴らすには「地獄でなぜ悪い」を説明する必要があるんとちがうん。

こんにちは、かすがです。

近づいてきましたね、ハロウィンの季節が。

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クリスチャンにとっては、精神の修行とも言える季節になってきました。

なぜか?

なぜかというと、「ハロウィンはキリスト教のお祭り」とまことしやかに噂されていますが、実際の歴史はもう少しややこしいモノだからです。



実際のところは、キリスト教とは関係ないケルト文化の死霊祭りがルーツなのですが、キリスト教ケルト文化圏に伝道するとき「宗教としてではなく文化として許容する」ことで折り合いをつけたため、この文化圏にもキリスト教を浸透させることに成功したという歴史があるらしいのです。

ですから、本来的にはキリスト教のお祭りではない。

でも、ある意味ではキリスト教のお祭りであるとも言える。



ですから、多くのクリスチャンはこのあたりで精神的葛藤による修行が自然と課されるわけです。

 


「クリスチャンとしてハロウィンを否定するか」


「クリスチャンとしてハロウィンを肯定するか」



「クリスチャンとしてハロウィンを『宗教としての矜持を持ちつつ、愛を持って文化として受け入れる』か」



いろんな選択肢があると思います。どの道を選択しても、忍耐だったり度胸が必要です。でも今日はここで「どれにするのがクリスチャンとして正しいか」を問いたいわけではないんです。

「ハロウィンを伝道の機会にするとしたら、どうやってクリスチャンじゃない人に話すか?」

 

今日は、その一点についてのみ、私の感じてることをお話したいと思います。

※この話題はクリスチャンのなかでもあーでもないこーでもないと言われやすい炎上体質を持っているので、あらかじめお断りしておきたいことが数点。
以下に該当する方はお帰りください。



ーーーーーーーーーーーーーーーー
・特に伝道したいとは思っていない
・ハロウィンを宗教的文化として肯定する
・ハロウィンに関しては何も言わないのが絶対的に正しいと思っている
・ハロウィンを伝道の機会と考えるが、キリスト教的背景を持っていないだろうという人に対して「ハロウィンは危険だ!悪魔は今も人間を神から引き離そうとしている」という説明でOKだと思う
・自分の解釈と価値観による叱責は神からの愛だと思い疑わない

・自分は感情や感性についての賜物があり、論理的な文章が苦手だ
ーーーーーーーーーーーーーーーー
くらいなものでしょうかね。
では参ります。


(私の基本的スタンスは、ハーベストタイムミニストリーズのこちらの動画↓

youtu.be

でいうところの③に該当するかと思います。でも、本当にそれは個人的な話で、「伝道しろ」と言ってるわけではないことをご承知ください。)

 

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■ 「地獄が悪い」という前提を本当に共有できているか?

 

youtu.be

 


私、星野源のこの「地獄でなぜ悪い」って曲がけっこう好きでして。なんで好きかっていうと

クリスチャンになる前の自分が聴いたら、ハマっただろうなと思うからなんです。


「地獄」をニヒルに笑い飛ばす、一種の自虐ネタともとれるPVアニメと、歌詞。
この曲を創った時、星野源は病床にいたそうです。病の絶望や不安の中で、あっけらかんとした希望を抱くのではなくどこかシュールな影を落としつつも、どこか生きるということを肯定しているかのようなこの作品。



今の私は「地獄でなぜ悪い」とは思いませんが、「こういう感覚だったことを完全に忘れてしまってはアカンなぁ」と思うのです。


この曲にあやかって、この記事中では私がキリスト教を知る前を

「ビフォア―地獄でなぜ悪い

キリスト教を知った後を


「アフター地獄でなぜ悪い

としましょうか。



もし、「ビフォア―地獄でなぜ悪いの私に、「地獄は悪い」という前提で話かけてくる人がいたら、きっと「ビフォア―地獄でなぜ悪いの私は「こいつ話わかんねぇ奴だな」と心の中で思い、

分厚い心の壁にてテキトーにシャットアウトすると思うのです。

 

「地獄は悪い」という事に関しての可能性に頭がいかない人に何かを説かれても聞く気がおこらないんじゃないかと。

 

こんな話しもみつけました。↓ 

lenon.tokyo

 

 

 

ここに書かれている「ばあちゃん」という方は、『地獄』というのは「自力が及ぶ場所」と考えているわけですよね。

 

このあたりから、「前提が違う」ことを考えておく必要があるのではないかなと思いました。今話をしている人と「そもそも前提を共有してるか?」という配慮があると、信頼度も飛躍的にあがるはずです。



■ 日本沼に対して「地獄=悪」はもはや馬の耳にねんぶ・・・ごほっごほ

 

遠藤周作のこの一文は、キリスト教界隈ならず色んなところで使われている表現であります。

 

「日本は沼地」。なんでもまぜこぜにして、それをよしとしてしまう国民性。昔書いた記事でもちょっと触れたことがあるのですが、

kasuga-1221.hatenablog.com

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 私自身、「ビフォア―地獄でなぜ悪いだったころかなり日本のカルチャーに強い影響を受けた人種だったと思います。要するに、

 

勧善懲悪の構図を善しとできず、「清濁併せのむ」ことが深いと思っている。

 

それが「ビフォア―地獄でなぜ悪い時代の私です。

 

魔界戦記ディスガイアのOPであるこの曲の

youtu.be

♪あ~なたがいいの~悪魔でもいい~(『あくまでも』とかけてる)

 

という歌詞に「うまいこと作ってんなー」と感嘆し、鬼灯の冷徹がこの時代に放映されていたら

youtu.be

「鬼灯様超好みなんですけど鬼灯様のいるところなら地獄でもなんでも行きたいっ!」

 とか考えていたことが予想されます。

 

そんな私がいつも考えていたことはこんなことです。

 

・「地獄」=悪の構図は浅いんじゃないか。

・この世が「悪」としてるものって本当に悪いの?

・ 悪魔と呼ばれる存在にも、理由や感情、言い分があるんじゃないの?

 

クリスチャンの方、どうか笑わないでください。

そして、怒らないでください。

 

これは、ある意味「人格のある神」という基準を持たない文化を土台とする日本の文化が行き着いて然るべき姿とも言えます。

 

どうかこの現実を、理解してほしいのです。

 

そして、「それに向かっていくのはどうすればいいのか?」というアクションにおいて、「とにかく否定する」ことは得策でないことを受け入れてほしいのです。

 

 私がキリスト教のみちに至った理由は、完全に「神の恩寵」と呼べる出来事がありました。それは、「地獄でなぜ悪い」と思ってる私を神がそのまま受け入れて赦してくれてから、に他ならないと思っています。

 

(もう少し詳しく言うと「罪」の認識があって「悔い改め」に至ったというキリスト教信仰に至るの通常の行程を経てはいるのですが、これのどこまでは自発性でどこからが神が介入しているのかっていう話しになるとそれは非常にセンシティブでオリジナリティあふれるONLY GOD KNOWSなことだと思ってますので文字数) 

 

だから、目の前にいる人にハロウィンの危険性とか悪魔の危険性とかを語るとしたら、

 

ーーーーーーーーーーーー

①その人の地獄・悪魔というものへの認識を確認する

②前提を共有する

③まず受け入れる

④そこから自分の考えを話す

(この自分の「考え」ってのは「キリスト者の考え」ってことを指してるんですが、「これが世界の真実だ」みたいな形ではなくてあくまで自分の考えとして・もしくは「キリスト教ではこう考える」というスタンスで話すことがよろしいかと思いまする。

ここで、こちらサイドの基準を共有するのです。

それも、福音であるのか、悪魔や地獄についてであるのか、というところはきっちり分けたほうが得策だと今の私は感じております。一気に語ることが許されているならそうでもいいのでしょうし、どちらかだとすればどっちを優先させるかはわたしなんかよりも深くご存知の方が多いと思いますので特に言及しません)

 ーーーーーーーーーーーー

 

というプロセスがいるんでないでしょうかね。

 

※子どもにはまず基準として神の律法を教える、と考る方もいらっしゃいます。たしかに、基準を持たない子どもにはそれが必要だと思います。でも、それを「どうやって知るか?」というところでは、①の行程を経ますよね?

 

相手に明確な基準がないようでしたら、①→④でかまわないと思います。

 

ただし、私は上記のような考えを小5の時から持ち合わせていましたので、そのへんもアタマの片隅においていただけたらと思います…。

 

 ■ で、「地獄でなぜ悪い」の?

 

ここまで、もしクリスチャンでない方が読んでくださっていたとしたら、「そもそもてめぇなんで天国にいけると思ってんだよ図々しいんだよそれを前提にしてることがムカつくんだよ」と思われているかもしれません。

 

そのために、そもそ「天国」と「地獄」というものを私(たち)がどうとらえているかをお話する必要があると思います。

 

 

天国と地獄とはなんなのか?

 

実は私も勉強不足でよくわかってないのですが、一つだけ確実に言えることは天国とは「神との関係が永遠に保たれるところ」であり、地獄とは「神との関係が永久に断たれた状態」であることは間違いないのでは・・・ということです。

  

神との関係が断たれてなにが悪いのさ?

 

とも思われるかもしれません。

 

これは、いざ説明しようと思うと大変難しいのですが、ある意味でそれは神の恩寵がごく当たり前に私たちに注がれていることの裏返しだと思います。

 

キリスト教徒からすると、宇宙を創ったのは神、人間を創ったのも神、その人間を感情のある生き物にしたのも神です。

 

「幸せ」があるとしたら、それはなんらかの基準がないと抱きようがない感情だと思うのですが、そういう「基準」をそれなりに人類全体が共通して持っているという事はやはり「意図して創られたもの」だからなのではないかと予想できるところであり、なんかややこしくなったからこのハナシやめていい?

 

失礼しました。カンタンに言うと、「神との関係が断たれた世界」ってのは「幸せがない世界」なのではないかなと思うのです。

 

「幸せがない」ことが「永遠に続く」としたら。

 

 それって地獄だと思いません?(雑)

 

私が考える地獄ってそんな感じです。もしかしたらこれを読んでる人の中には

 

そんなのやってみないとわからないじゃないか!俺の精神力なら、幸せなんかなくても生きれるし、死んでからも怖くないぜ!」

 

 と思う精神マッチョな人もいるかもしれませんが、私は精神非マッチョだったので単純に神を知らない時は「ぬるい地獄だな。早く人生終わってほしいな」としか思ってませんでしたし、

 

 

神の存在を認めながらもそこに変えることを否定していた時代はは「まさに地獄や・・・!すでに地獄や・・・!こんなん地獄や・・・!地獄ってこんなにつらいやん、無理やん!」と思ってましたのでねぇ…。これが永劫続くのはムリだろってわりかし素直に思ったクチなのでそういう方は私と話が合わないのかもしれませぬ…。

 

 

■ 結論

 

地獄でなぜ悪いのか」についてももうちょっと丁寧に話しません?

 

ということでした。では。

 

 

※そういや、そもそもハロウィンってなにを指すのか?ということもおそらく共有しきれてないと思いますので補足。

 

そもそも我が家ではハロウィンは「かぼちゃ料理を食べてちょっと酒を飲んでキャスパーを見る日」以上のものではありません。(田舎だったし)

 

悪魔とか屍人のまねっこをすることがいいとは思わないけど、

単に便乗してアニメのキャラのコスプレをしてる人にグダグダ言うつもりもないし、

 

ましてや家のインテリアをちょっと変えてかぼちゃ喰ってる人にgdgd言うつもりは毛頭ないです。

ーーーーーーーーーーーー

 ~今日のオヌヌメ

ヨギティーシリーズのハーブティ「レモンジンジャー」最高です。PC仕事のお供にするとおちつきます。

 

 フクザツナ味がOKなひと、しょうがとレモンが好きな人、甘草の甘味が苦手じゃない人などいいのではないでしょうか。

 

紅茶ばっかり飲んでるとカフェイン過多になりますし、飽きますので…。私は15時を過ぎるとカフェインはできるだけ取らないようにするようにしてます。

そういう意味ではルイボスティもいいかもしれない。

 

(お茶だし、有機とかじゃなくて全然いいよ・・・と思ってる私・・・)

 

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