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この世の旅路は果てしない。「主よみもとに近づかん」が好き。

仕事で合掌・礼拝をしなくてはいけないクリスチャンに対する日本イエスの牧師と信徒の解答7

こんにちは、かすがです。

 

 

いろいろあってクリスチャンというマイノリティな道を選んだアラサーです。既婚。

 

今、教会の聖書研究祈祷会(みんなで聖書を学んでお祈りする会。教会によっては茶をしばくというオプションがついてくる)で「ダニエル書」について学んでます。

 

ダニエル書についての詳しい説明は省きます。この箇所の主役であるダニエル氏、なにがすごいって「自分の信仰的にOKなところとNGなところをしっかりわけて、拒否するところは拒否した」というエピソードが、日本人の多くにガツンとくるのではないでしょうか。

 

 

たとえるなら、キリシタンが迫害されて踏み絵を踏まされるような状況になっても踏まないことを貫き通した、という感じかもしれません。

 

 

で、そんな話を学んでると、やっぱり自分のことを思い出すもの。私は、新卒で就職した会社で「合掌と礼拝をしなくてはならない」「全体朝礼とお祓いが合体したやつに出なくてはならない」という場面に遭遇していたときのことを思い出しました。

 

 

kasuga-1221.hatenablog.com

 

そのとき私は、まだ洗礼を受けずに教会に通っている身でした。でも、神の存在や、イエス・キリストのことを救い主だと口で言いあらわしていたので「あとは洗礼を受けるだけ」という状態ではありました。

 

そんななか、行ってみた教会の牧師先生に、こんなことを聞いてみたのです。

 

「私、仕事で祭壇に向かって合掌と礼拝をしなくてはいけない場面があるんですが、どうしたらいいですかね・・・?」と。

 

どう答えられたと思いますか?

 

・・・このとき聞いた牧師の解答は、なかなか興味深いものでした。時を経て、今、「他の人ならばどう答えるんだろう?」ということが気になり、改めて牧師2人と、先輩信徒数人に聞いてみることにしました。

 

今日は、その時の牧師先生がどう答えたか、という話し、そして他の牧師先生、他の先輩信徒ならどういう答えを出すのか?という話しをします。

 

■ 牧師3名の解答

 

 牧師A「ああ、それはやらないほうがいいですね」

 

 これが、当時その最中にいた私への牧師の解答でした。なかなかはっきりと言われたので驚いてしまいました。(後ほど、信徒の女性から「先生がああいうとは思わなかった、ちょっと取りつく島がなさすぎる言い方だなって思う」とフォローをいただきましたので、信徒的にも衝撃的な発言だったということが判明しました)

 

正直複雑ですが、このときの私の信仰は不安定だったので、(そもそもまだ洗礼を受けてない)A牧師なりの考えはあったのだと思います。

 

次。時を経て、複数の牧師や先輩信徒に聞いてみました。まず、牧師先生N。

 

牧師先生N「それはねぇ、ダメとは言えないよね。死を前に悲しんでる人がいるのに、それよりも自分の信仰の方が大事だっていう態度を貫き通すのは、愛がないともとられかねないよね。手を合わせたら偶像崇拝になるなんて考えは聖書的ではありませんから、そちらを悲しまれている人の気持ちによりそってあげることも大事だよね。意訳)。A牧師の答えも間違ってはないけどね。そういうのは、一人一人違うからね。こういうことは講壇では話せないね。だから聞いてね」

 

・・・とのこと。『あ、なんか、牧師によってもそのへんってちがうんだ・・・』というのが感想。N牧師は厳格な方だと思ってたので、そんな回答だとは思わずこれまたびっくり。

 

 次。牧師先生I。(私の教会は牧師先生が2人いる)

 

牧師先生I「うーん、私でしたら、まず『その仕事にどういう風にかかわっているか?』を確認しますね・・・。使命を持ってやられてる仕事でしたら、『辞める』という選択肢は容易に出せませんが・・・。正社員でいらしたんですか?そうですか・・・。そうですね、選択肢は3つほどあると思います。一つは、『辞める』、2つ目は『心では拝んでいないから大丈夫だ』と自分を納得させる、3つ目は『その仕事をしながら、拝むことは拒否する』・・・。どれも、それぞれの信仰によって変わってくることと思いますから、それを祈りながら支えるのが牧師の仕事かと思いますね。そこが『仏式葬儀しかしない』というような会社でしたら、個人的なキモチとしては、ずっとそこに居続けることはおススメしたくありませんが・・・」

 

 とのこと。「相手のスタンスを確認することが第一」という発言と、「個人的なキモチ」もお話しくださったのは嬉しかったですね。

 

 

■ 先輩クリスチャン4名の解答

次。先輩信徒さん4名。連続でいきます。

 

 信徒A「あー・・・難しい問題だねぇ。うーんそうだね、無下にだめ、とは言えないよね。そういや私の知り合いではこういう話があったよ。しめ縄をつくらなきゃいけないって授業があって、でも作りたくないって思ったkら、代わりにリースを作るってことで免除してもらったんだって。そういううまいこと回避する方法はないのかなって提案してみるかな。 

 

信徒B「そうね、新卒で・・・。そうよね、いろんな兼ね合いもあるし。ダメとは言えないよね。手を合わせる=偶像崇拝になるって考え方は違うしね・・・。」

 

信徒C「うちの教団内でも、けっこう違うこと言う先生はいますけどね。それでも、比較的牧師N先生なんかはそのへん、柔軟に考える方ですよね。

僕も、昔仕事の一環でおみこし担がなきゃいけない時があったんですけど、その辺はハッキリ断りました。ちゃんと説明したら意外と大丈夫でした」

 

 

信徒D「私もね、叔母のお葬式で、みんなで『南無妙法蓮華経』って唱えながら部屋をぐるぐるまわるってのをしなきゃいけなくなった場面があってね。でも逃げちゃった。主人には『お前、逃げただろ』って言われたんだけどね。そういう風に切り抜けることもあったね。

ただ、そういうのはいいんだけど、妹が初盆の祭壇を一人で組み立ててたときはね、手伝ったの。親戚にだれも手伝ってくれる人がいなくて、妹が一人でやってたの。それを放置するのは愛がないよね、って思って。ナスときゅうりににつまようじ刺したよ。

 

焼香とかの場面になったら、十字架を切ってお祈りすればいいんじゃないかな。そしたら、哀悼の意も示せるし『ああ、この人はクリスチャンなんだ』ってアピールにもなるしね」

 

 

■ 比較的マイルド派が多い印象

・・・ということで、比率としては「マイルド対応派が多い」ようですね。(A牧師の教会で聞いたらまた違うのかもしれませんが)

 

 

こんなネット海にこんなこと書いて放り投げてたら、いろんな方向から「神を見ていない、けしからん」的な矢を投げてくる人がいそうな気がしてかなり怖いですが、あえて放り投げておきます。

(反論がある方はご自分のメディアでお願いしますね)

 

 

牧師先生Aも間違ってないのは痛いほどわかるし(結局、そこからズルズルと葛藤がはじまり、「神なんていねぇ!」というところまでいったので・・・。)他の人は人で「愛を現すとはどういうことか」というのを体現されようとしてる感じがあるし。

 

正直、この「合掌・礼拝問題」は、私の悩みの本質ではなく、あくまで枝葉末節です。

 

でも、こういうことに対する回答で、なんとなーくでも日本イエス・キリスト教団がどんなかんじの人の集まりなのかっていうことがを知ってもらえたらいいのかなと思いました。

  

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