クリスチャンの証しにも種類があるよね
こんにちは、かすがです。
このブログでは、
「クリスチャンの証し本はブログでいいんじゃね?」
「証しによる伝道は、一信徒でもしていいはず」
ということをお話してきました。
で、あることに気づきました。
「そういや『証し』って一口に言っても、教会向けにする証しと、クリスチャンでない人に向けてする証しで、違うよな・・・?」
ということに。今日はそのお話をします。
■ 教会でやった証し用原稿を見返すと
私、洗礼を受けてしばらくしてから「教会で伝道集会があるから、証しをしてほしい」と頼まれ、引き受けたことがあります。
一度がーっと原稿用紙に起こして、そこからけずっていくスタイルで書き起こしました。
言っても礼拝中に先生のメッセージの前に話すことですから、5分程度に収まるようにしようと思いました。
それまでに、何人かのセンパイ信徒さんのお証しを聞いたことはありました。
どれも大変興味深く感慨深いものばかりなのですが、やはり「よくまとまっていている方」と「その場の思いつきで話されている方」とでは【記憶の残り方】がちがうなぁと感じていました。
長くなればなるほど、「何一つ伝わらない」という事態を引き起こしやすいと実感したのです。
ですので、いざ自分のときになると「言いたいことは1つにしぼってそれだけにむかって話を展開させてやてみよう」と考えて作りました。
でも、そもそも教会中での証しなので
「神さまを知る前の自分の状態(簡単な自分のプロフィール)」
「知ったきっかけ」
「神さまがどれほどすばらしいか」
くらいの点さえおさえればいいわけで。前提を共有していますから。
そのとき書いた証しはなかなかきれいにまとまっていたと思います。証しを書くと、自分の救われた経緯を思い出して恵まれるのでそういう点もいいですね。
ですから、「証しを紙に書いておくといいよ」とお義母さまに言われたときも、「ああ、前に教会で話した証しを印刷しておこうかな」
と思って、見返してみたのです。
が。
そこで気づきました。
「これでは、キリスト教を知らない人にはちんぷんかんぷんだ」
ということに。
■ 手間はかかるけど、専用のものを作った方がいい
作る手間はかかりますが、キリスト教を知らない方やクリスチャンでない方に向けて書いた方はそれ専用に作っておいたほうがいいんだろうな~と感じてます。
ましてやブログに書いておくとしたら、
読んでもらえる工夫と言うのはいくらしておいても足りないわけで・・・;
その場合は、多少なり聖書の引用だったり、聖書解釈の引用だったり、それをどういうふうに自分が感じたか・・・とかも文章にすると読んでもらいやすいんだろうなぁと思います。
(別にそこまでしなくてもいいのかもしれませんが、この記事
とかであるように、私の場合、対面での「意見交換」みたいなのがすごく苦手なので、言いたいことはある程度まとめておいて「読んでおいてくれると嬉しいです」って投げておくくらいが、すごく心理的負担が少ないのです・・・)
書くのは書くですんごい労力がいるので、「できる範囲で」でいいのとは思いますが。
ちょっと教理にかかわってくるような話しになると、すでにアップされているブログなどを引用してもいいかなと思います。(あくまで「引用」の範疇を超えなければ)
ちなみに、私は聖書の引用は著作権の切れた口語訳を利用しています。
新共同訳の引用にはこういったルールが設けられますので、ブログなどで書かれる方はお気を付けください。
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(とはいっても、何度も言っていますが「あくまでキリスト教のことを知ってもらう」「あくまで聖書の学び会につなげる」「あくまで教会につなげる」ていどの話しでしたらこの範疇を超えなくていいかなーとは思いますが)
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