存在に耐えられない軽さだとは思わない

この世の旅路は果てしない。「主よみもとに近づかん」が好き。

私が葬儀の仕事をしながら考えていたこと~連れて行かれる~

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「友引」という言葉は怖いと思う。

「連れて行かれる」というのだろうか。

 

 

主語をはっきりさせないトコロが恐怖を一層引き立てている。

 

 

 

ある青年が、お母様のお葬式の段取りをされて帰った。身寄りはその青年1人。小さいけれど、式は執り行われるはずだった。

 

 

 

翌日が友引なので、出棺は翌々日になる。時間をだけをおさえて、細かいことは後ほどという事で、いったん家に帰られた。夕方また来るということらしい。

 

 

…来ない。

 

 

上司もなんとなく異変を感じ始めた。ひょうひょうとしている人で感情が読みづらい人だが、さすがにおかしいと焦っている。

 

 

連絡が入った。

 

 

《喪主となるはずだった息子が、倒れて心肺停止》とのことだった。

 

 

「連れて行かれた」というのだろうか。さすがの上司も困惑しているようだった。長い争議経験でも珍しいパターンらしい。

 

 

式はひとまず延期。

 

 

後日、喪主のはずだった青年もお亡くなりになったことを知った。

接待スタッフは、その日その日で各地方の会館に配属されるため、

私はその顛末を見届けることはできなかった。

 

 

私はその元・喪主のお葬式が執り行われたことを、社内の式表でのみ知った。

 (続く)