存在に耐えられない軽さだとは思わない

この世の旅路は果てしない。「主よみもとに近づかん」が好き。

私が葬儀の仕事をしながら考えていたこと~孤独死の老人~

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孤独死、というものは少なくない。生活保護をもらって暮らしていらっしゃったような独居老人の式は、とても小さい部屋で行われることがほとんどだ。

 

 

そういう人の親戚は、部屋に泊まるほどではないから「ご遺体だけ会館に預かるお通夜」ということになる。

 

 

私はよく、白くかさついたシワまみれのご遺体のそばに座って黙想した。

 

 

 

この人の魂はどこに行くのだろうか。

私はそれを知れない。

 

 

心の奥では、この人がもしただ一人の神さまを認めていないのであれば地獄に行ってほしい、聖書の言葉が真実であってほしいという気持ちがあった。けれど、それはとても独善的で、いけないことのような気もして、葛藤をしていた。

 

 

 

クリスチャンの方からみたら不信仰かもしれないが、

今の私は聖書の信憑性も信じているしイエス様のことも信じているが、

どうしても地獄と言うキーワードになると思考がストップしてしまう。

 

 

日本では、ただでさえ宗教というだけで「カルト」呼ばわりされる。終末思想や地獄を声高に叫ぶなどすれば、私がキリスト教の名前を貶めることになると、そう信じていた。

 

(続く)